ところが、こんなキテレツな天津教も、公爵や陸海軍将校に信者が多かったという。何故か?。第1次大戦に前後して軍人の間に広まった「南朝ブーム」に竹内が乗じたからである。竹内としては官憲の弾圧に備えて、是非とも地位のある者を抑止力として手中に治めたかった。そこで彼は南朝を騙った。当神社の主筋は南朝の開祖、後醍醐天皇であると偽ったのである。その際、後醍醐天皇の真筆を捏造することも忘れない。かくして竹内の捏造人生の火蓋は切って落とされた。

 捏造と云えば、こんな話もある。日本=ユダヤ同祖説を唱え、中東にモーゼの十戒石探索に出掛けたこともある怪学者酒井勝軍(かつとき)が天津教の存在を知り、ひょっとしたら十戒石が宝物の中にあるのではと竹内のもとを訪れた。話を聞いて竹内は、
「モーゼの十戒石とは何ですか?」。
 と問う有様だったが、「霊告」でそれらしき石を見つけて数日後に届けると、酒井は、
「本物だあ」。
 と大喜びしたというから、随分いい加減な話である。

 ちなみに、この酒井勝軍という人物、今日もなお(一部で)多大な影響力を誇る「超古代史界の大物」なのである。「日本にピラミッドがある」と最初に云い出したのは彼なのだ。あの麻原も彼の著作から多くを引用しているが、まさか己れの「崇高な」研究が後の世でテロ集団の教義に利用されるとは、夢にも思わなかったであろう。


 話を戻そう。キリストの墓である。
 竹内はどのようしてキリストの墓を「発見」したのか?。実はこれにも、酒井勝軍が咬んでいる。
 酒井の知人に烏谷幡山(とやばんざん)という日本画家がいた。青森県戸来村出身の彼は、なんとか故郷を観光名所としてPRできないものかと考えていた。そんな折り、酒井の「比婆山=ピラミッド説」を知り、
「ピラミッドなら私の故郷にもありますよ」。
 と戸来村に招待、十和利山を「第二のピラミッド」と認定させる。地質調査もロクにせずに、外観だけでピラミッドと認定してしまうとは随分いい加減な話であるが、佐々木村長は大喜びだ。なにしろ戸来村は十和田湖国立公園から外れた、本当に何の取り柄もない場所だったからだ。(行ったことがあるので断言できる)。昭和9年の《東奥日報》には《太古日本、第二のピラミッド発見〜三戸村戸来村に於いて》という烏谷の手記が掲載されている。
 で、いよいよ
竹内巨麿の登場である。昭和10年、酒井の招きで戸来村を訪れた竹内は、どうってことのない単なる土塚を「キリストの墓」と認定してしまう。その根拠になったのが、皇祖皇太神宮に保管されていた「キリストの遺言状」だけなのだから、随分いい加減な話である。なにしろ、この遺言状の中でキリストは自分のことを「イスキリスクリスマスフクノ神」と名乗っているのであるから。

 そんなわけで、随分いい加減な「キリストの墓」なのであるが、それを信じているオメデタキ方々がいるのも事実。オウムの方々も信じている筈。信じるのは勝手だが、信じている人に敢えて云いたい。あんた、三戸に行ったことあるのかい?。キリストの墓を見たことあるのかい?。
 私は行った。私は見た。だから、断言できる。あんな辺鄙な場所にキリストがわざわざやってくる筈がない。