フェラチオという一部上流階級でしか使用されていなかったラテン語を世間一般に広めたのはチャールズ・チャップリンであることは意外と知られていない。
 また、チャップリン
がロリータ・コンプレックスであったという事実も、読者諸君を大いに混乱させる情報であるように思う。しかし、チャップリンの徒名が「小児科医」であったことはハリウッドでは有名で、最初の妻ミルドレッド・ハリスはなんと16歳だった。

 チャップリンがロリータ・コンプレックスであったことには理由がある。彼には英国での修行時代、結婚を誓い合った踊り子の少女がいた。やがて渡米して若くして成功。彼女との再会を楽しみに帰国すると、その少女は病気で死亡していた。つまり、チャップリンのその後の女性遍歴は、祖国に残し、そして失ったあの少女の面影を見つけるための邂逅の旅だったのである。



 さて、ここでハリウッド最強の小悪魔、リタ・グレイが登場する。本名はリリータ・マクマレーであるが、本人は好んでロリータと自称したというから、その小悪魔ぶりが伺える。チャーリーとリタとの出会いは彼女が6つの時。彼が常連の喫茶店でリタの母ナナがウェイトレスをしていたのだ。おしゃまなリタはチャップリンさんと眼が合うとニッコリ笑ってはにかんで見せる。チャーリーが手招きするとリタは隣の席に収まる。そして、ものの5分もしないうちに二人は、ナナが運んできた紅茶とケーキを分け合っていた。
 なんとも微笑ましい光景であるが、《ハリウッド・バビロン》の著者ケネス・アンガーは、リタとその一族に差別的である。

「リリータ・マクマレーはメキシコ人を母に、アイルランド系アメリカ人を父に、1908年4月15日に生まれた。育ちはサンセット通りの貧民窟。低家賃のあばら家だ。生意気だが利口ではない、丸顔で額の狭いこの娘は、学校では知恵遅れだった」。



 

 アンガーの言葉を借りれば「知恵遅れ」のこの娘も、《キッド》でチャップリンを誘惑する天使を演じる頃には12歳に成長していた。

「彼は私をいろいろと試したわ。長い髪を束ねたり、母の服を着せたりしてね。私は老けて見えたの。12なのに16、7に見えたのね。それで彼が私を使おうって」(リタ・グレイ)。

 周囲の者からすれば、チャップリンの意図は見え見えだった。彼は衣装合わせを口実に、ロリータの着せ代え人形を楽しんでいたのである。
 コリン・ウィルソン著《世界醜聞劇場》によれば、リタの母ナナは当初からチャップリンの意図を疑っていたらしい。常時彼から警戒の眼を離さなかったという。
 しかし、前記アンガーはリタ側に手厳しい。

「娘に毎月小切手が振り込まれるようになると、マクマレー夫人はテーブル拭きの仕事を辞めて娘の『教育』に専念するようになった。ナナはたった1課目だけを何学期もかけて教え込んだ。億万長者と結婚する方法。鈍い娘でも、ようやく覚えるようになっていた」。

 やがてリタは、それまでのチャップリン喜劇のヒロイン、エドナ・パービアンスを押し退けて、《黄金狂時代》のヒロインに抜擢される。

「やったやったと踊りまわるリタに、ナナは満足気に眼を細めた。いくら娘の年が若いからといって、休みのときにボスから『手ほどき』してもらえる年にはなっている。チャップリンさんの前でどんな演技をすればよいかは、リタはナナにみっちり仕込まれていた」。