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こうした編集方針の最も醜悪な例が「スペイン警察の取調べ」であろう。1897年、ハースト系の新聞は「アメリカ婦人を裸にするスペイン警察」の記事をスクープした。この煽情的な記事により反スペイン感情は高まり、遂には翌98年、アメリカ戦艦メイン号が撃沈されたのを切っ掛けにアメリカは開戦に踏み切った。しかし、この戦争はハーストの情報操作の賜物だった。ハーストの命を受けてキューバに赴いた画家フレデリック・レミントンは、「スペイン人の残虐行為を描いて送れ」との指令を真に受けて探し歩いたが何も見つからず、その旨を電報で知らせた。これに対するハーストの返答は、 「何でもいいから絵を用意せよ。当方は戦争を用意する」。 嘘のようだが本当の話である。つまり「スペイン警察の取調べ」はまったくのデッチ上げであったのだ。そうと判るとスペインによるメイン号撃沈も、事実であったのか相当に疑わしいものである。 |
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この他にもハーストはメキシコ政府をも攻撃した。1913年12月22日、ハースト系の新聞には両手を挙げ腰まで水に浸かったメキシコの子供たちの写真が掲載された。キャプションに曰く、 「このいたいけな子供たちは写真が撮られた直後にメキシコ政府により射殺された」。 この写真は全米でセンセーションを巻き起こしたが、数週間後にこの写真を撮った旅行者が名乗り出た。写真は英領ホンデュラスで水遊びしている子供たちを撮影したものであった。ハーストはこの暴露を契機に糾弾されたが、彼を糾弾した記者たちは翌日にも後悔した。彼らは職を失い、記者生命を断たれてしまったのである。以後、このメディアの帝王に逆らうことはタブーとなった。彼のイエロー・ジャーナリズム(インチキ扇動ジャーナリズム)の全貌が明らかにされたのは、すべて彼の死後のことである。 (余談ながら、第1章で取り上げたロスコー・アーバックルの事件を大袈裟に書き立てて、彼を犯罪者として断罪したのもハースト系の新聞であった)。 |
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こんな外道で非人のハーストであったが、その私生活は意外と間抜けであった。 こうした浪費が災いして、ハーストはやがて破産に瀕することになるのであるが、それはまだまだ先の話。その前に、彼は生涯で最も高価な買い物をする。その商品とは、女優マリオン・デイビスである。 |
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