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4. チャーリーの浮気とその代償 チャールズ・チャップリンの生涯は、このことには第6章でも触れたが、実に多くの女難で溢れている。リタ・グレイ裁判に次いで有名な女難は1943年の認知訴訟。ジョーン・バリーという気の触れた「自称女優」がチャーリーに犯されたと訴え出たのである。血液検査の結果、その子はチャ ーリーの子ではないことが判明した。にも拘わらず法廷は、チャーリーに養育費の支払いを命じた(この判決が不当なものであったことは今日では異論がない)。 その答えは「彼がお人好しだから」。リタの時のジョーンの時も、チャーリーは罠であることを疑いもせずに見事に騙されている。そもそも、ハリウッドというところは、こうした「お人好し」と「ペテン師」の巣窟のようだ。コリン・ウィルソンは《世界醜聞劇場》で、ハリウッドのこのような状況を以下のように記している。 「チャップリンの経歴はハリウッドの根源的な問題を端的に示している。有名人は常に異性を惹きつける。従って大抵の場合、セックス過剰となる。セックスを提供されると疑うことなくこれに応じる」。 しかし、時としてセックスの提供者の方が一枚上手だったりする。こうした場合、スターはスキャンダルに巻き込まれ、大金を奪われ、ヘタをすると地位も名誉も失うことになる。チャップリンがその典型である。しかも、この人の場合、どういう訳か懲りることがない。 |
マリオン・デイビスもそんな「一枚上手な提供者」の一人だった。彼女はまだ20になったばかり。種族繁栄本能も旺盛で、老人相手にその欲望が満たされる筈はない。ハーストの眼を掠めて幾人もの愛人たちと一時の逢瀬を楽しんでいた。そこに巨根で有名なチャーリーが登場する。お人好しのチャーリーはまたしても後先のことを考えずに「据え膳」を召し上がることとあいなる。 事件が起きたのは1924年11月のこと。場所はハースト所有の豪華客船オネイダ号の船上であった。「西部劇の父」として知られる名匠トーマス・インス監督がここで射殺されたのである。もっとも、ハースト系の新聞は、インスは自宅で心臓発作のために死亡したと報道した。しかし、ケネス・アンガー著《ハリウッド・バビロン》によれば、真相はこのようなものであったと云う。 「夜も更けて、船上でのパーティもたけなわとなった頃、チャーリーとマリオンが甲板の暗がりに抜け出した。これを目撃したハーストはリボルバーを持ち出すと、殺すの殺さないの大騒ぎを起こした。そして銃弾は発射され、これが止めに入ったインスのこめかみにめり込んだ」。 つまり、インスはチャーリーの身代わりとなって死んだのである。 |
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もちろん、これが真実である保証は何処にもない。アンガー説の他にも、マリオンと暗がりに抜け出したのは他ならぬインス本人だったとする説や、インスは急性アルコール中毒で死んだのだとする説も存在する(後説によれば、ハーストは禁酒法違反を隠蔽するために事件をもみ消したことになる)。しかし、いずれにしてもインスがオネイダ号上で死んだことは確かであり、またハーストが事件をもみ消し、如何なる訴追からも逃れたことも確かである。ハリウッドでは「新聞王の不正」が口々に噂された。D・W・グリフィスは後にこのように語っている。 「ハーストを蒼ざめさせたいなら、インスの名前を出せばいい」。 しかし、そうする者はいなかった。彼を敵に回しても何の得にもならないことを、ハリウッドの住人たちは知っていたのである。 |