FBIの捜索も空しく、パティたちの行方は一向に知れなかった。ところが、ひょんなことから彼らのアジトが知れた。それはノータリン・パティのちょっとしたドジの賜物であった。
 パティ一味の銀行襲撃からちょうど1ケ月が経とうとしている頃、ロスアンゼルス市内の「メルのスポーツ・グッズのお店」でケチな万引きがあった。被害はソックス数点。これを抱えて逃げる男女を店員が追いかけると、理不尽なことに銃撃された。二人を待ち受ける車内からパティが発砲したのである。万引き団はエンジンふかして逐電。あとに残った者は唖然とした。
「万引きごときがなんでまた.....」。
 幸い負傷者は一人も出なかったが、メルの店には30発も撃ち込まれていることが判明した。
「ソックスごときになんでまた.....」。
 彼らは何故あってソックス如きを強奪しようと目論んだのであろうか?、今となっては知るよしもない。永遠の謎である。それはともかく、一味はここで大ドジを踏んだ。彼らを乗せたヴァンはその日の朝に、駐車違反でチケットを切られていたのだ。チケットには登録ナンバーがバッチリ記載されていた。これが手掛かりとなり、SLAのアジトはその日のうちにもFBIの知るところとなった。

 5月17日、SWATの狙撃部隊を含む総勢374名の武装警官がグルリとアジトを取り囲んだ。多勢に無勢、もう逃げ場はなかった。テロリストごっこに従事するお坊ちゃんお嬢ちゃんたちは降伏よりも討ち死を選んだ。やあやあ、遠からん者は音にも聞け。近くば寄って眼にも見よ。我こそは元トップレス・ダンサー、ファハイザちゃんなのよお、ドッキューン。最初に発砲したのは「ファハイザ」ことナンシー・ペリーであった。それからは乱射乱撃雨あられ。催涙弾は乱れ飛び、ヘリは空から爆弾を落とす。ファハイザちゃんは哀れハチの巣。アジトはあっという間に劫火に包まれ、一巻の終りを悟った「陸軍元帥」は己れの頭を銃で打ち抜く。唯一カミリア・ホールだけが火の海から這い出したが、その脳天はSWATの標的に収まっていた。
 最初から皆殺しにするプランであったことは明らかだった。

 あれ?。パティは?。
 パティはどうなったの?。
 読者諸君の関心はもっぱらパティ・ハーストの安否であろう。あははは。どうかご安心を。6000発の銃弾が費やされた銃撃戦にもかかわらず、我らがパティは死んではいなかった。いやいや。別にシガニー・ウィーバーやみたいなスーパー・レディだった訳ではない。たまたまアジトにいなかっただけである。パティはその時、ハリス夫妻とモーテルにいた。そして、テレビ中継を通じて同志の全滅を知ったのだった。



 

 パティたちの逃げ足は早かった。屍体を数えたFBIがパティがいないことを気づいた頃には、3人はペンシルヴァニアに高跳びしていた。しかも、カセットテープは既に発送済みだ。パティはここで同志の死を賛えると共に、報復を高らかに宣言した。

「偉大なるSLAの精神は不滅である。私は自由のために闘い続けることをここに誓う」。

 とはいうものの、現在の彼らは報復には役不足だった。銃器を仕入れると、パティはこれらの熟練に勢を出した。毎日のように4マイルもの荒野を走り、テロリストとしての体力を蓄えていった。
 SLA襲撃から1年が過ぎようとしている頃、3人はサンフランシスコに移り住んだ。資金も底を尽き始めていた。彼らは早々に2つの銀行を叩いた。
 しかし、2度目の時には「ヨランダ」がドジを踏んだ。抵抗した客の一人を殺してしまったのだ。これにはFBIも黙っていなかった。総力をあげてパティ捜索が押し進められ、遂に75年9月18日、3人は市内のアパートメントで逮捕されるに至った。



 逮捕直後の「タニア」ことパティは過剰なまでに挑発的だった。握り拳を突き上げてこれを挨拶とし、職業を問われて「都市ゲリラ」と答えた。しかし 所詮はお嬢さま。両親に会わされるとグズグズになった。「タニア」の人格は消えて無くなり、改めて職業を問われると「無職」と答えた。
 洗脳ってこんなに簡単に解けるものなの?。

 パティ・ハーストは本当に洗脳されていたのだろうか?。
 その年の暮れにも始まった裁判の争点はまさにこの点であった。洗脳されていたことを立証するために、パティは自ら強姦の事実さえも証言した。しかし、ティモシー・リアリーは著書《神経政治学》の中でハリス夫妻の証言を元に、パティとSLAのメンバーとの間には確かに性交渉はあったが決して強姦ではなかったと記している。
 いずれにしても、陪審員は事件の社会的影響を重んじた。検察の主張を呑み有罪を評決。懲役35年という過酷な実刑判決が下るに至った。