マリー・ベスナール
Marie Besnard (フランス)



マリー・ベスナール

 まず、最初に断っておかなければならない。マリー・ベスナールは殺人者ではない。彼女は冤罪事件の被害者である。彼女が「シロ」であることは今日では異論がない。しかし、事件が発生した当時は、誰もが「クロ」だと信じていた。そして、その潔白を晴らすために12年もの歳月を要したのである。
 何故なのだろうか?
 その理由は、まったくもってバカバカしい、間抜けなものであった。

 まず、彼女の風貌である。左の写真は第1回公判のベスナールだが、どう見ても魔女なのだ。こんな女が夫を殺したかどで被告人席にいる。予断を抱くのも無理もない。
 さらに、彼女の住所がルーダンというのも魔女説を裏づけた。『尼僧ヨアンナ』の元ネタである「ルーダンの悪魔憑き事件」がかつて起きた場所であり、悪魔やら魔女やらと縁のある土地柄だったのである。こんな場所で魔女のような風貌をしていたのは不幸としか云いようがない。

 事件の発端は根も葉もない噂だった。1947年10月15日、レオン・ベスナールが尿毒症で死亡した際、妻の毒殺説が流布したのだ。
 こうした噂が流布すると、必ず尾ヒレをつける輩が現れるのが世の常で、
「ベスナールさんは臨終の床で、妻に毒を盛られていると打ち明けた」
 あたしに打ち明けたのよお、などと父親に報告するバカ娘がいて、その父親も父親で、バカ娘のうそっぱちを検事総長に直訴した。これを受けてレオン・ベスナールを検視解剖してみると、噂通りに大量の砒素が検出された。念のためにベスナール家のその他の遺体も解剖すると、なんと13もの遺体から砒素が検出されたのだからビックリだ。
「フランス史上最悪の毒殺魔現る!」
 かくしてマリー・ベスナールは逮捕された。
「ルーダンのブラック・ウイドー逮捕!」
 この時点で彼女は犯人と決めつけられていたのである。

 裁判が長引いたのは、砒素の鑑定結果について、学者の間で意見が別れたからである。我が国でも下山国鉄総裁の死を巡って東大と慶応とで意見が別れたが、あんな争いがあったのだろう。
 しかし、謎の答えはとんでもないところにあった。ベスナール家の墓地では空き地で野菜を栽培しているのだが、そこに撒かれている肥料の中に砒素が含まれていたのである。
 つまり、この墓地に埋葬された遺体にはどれも砒素が染み込んでいたのだ。

 かくしてマリー・ベスナールは冤罪を晴らし、ルーダンで堂々と余生を送った。1980年に亡くなったが、献体したのは砒素まみれの墓に入ることが嫌だったからではないだろうか。


参考文献

『世界犯罪者列伝』アラン・モネスティエ著(宝島社)


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