ブラック・ダリア事件
The Black Dahlia Murder (アメリカ)



エリザベス・ショートの遺体


エリザベス・ショート

 極めて異常な光景である。発見者がマネキンだと思ったその死体は、腰からきれいに半分に分かれていた。まるでいたずら坊やが胴と脚を持って引っこ抜いたバービー人形のようである。しかも、口は右の耳から左の耳まで切り裂かれ、悪魔の形相を呈していた。
 完全に血抜きれた上に丁寧に洗浄されていた。その白い肌はさながら大理石のようだった。その白さが乳房や大腿の赤黒い傷を一層に際立たせていた。
 指紋を照合した結果、被害者はエリザベス・ショート(22)であることが判明した。映画スターを夢見る彼女はハリウッドにやってきた。しかし、夢は叶わず、次第に身を持ち崩していった。彼女は「悪徳の都、ハリウッド・バビロン」の典型的な犠牲者である。そして、一度見たら決して忘れることが出来ない姿となって発見された。1947年1月15日のことである。
 エリザベスは黒い服を好んで着たことから、アラン・ラッドとヴェロニカ・レイクの主演映画『ブルー・ダリア』に準えて「ブラック・ダリア」と呼ばれていた。

 新聞報道は過熱した。女優志願の美女が半分になって見つかったのである。部数競争のこの上ない題材だ。『ロサンゼルス・エグザミナー』のウェイン・サットンはいち早くマサチューセッツの実家の電話番号を調べ上げた。編集長は云った。
「母親には娘が死んだことは話すな。娘の情報をできるだけ引き出すんだ」
「ならば、何を話せばいいんですか?」
「お嬢さんが美人コンテストに優勝したと云え」
 酷いはなしである。
 有頂天の母親は、娘の交友関係については殆ど知らないと述べた。映画にも出たことはなく、ただスクリーン・テストを受けていただけだった。母親から聞き出せる話はないと悟るや、サットンは、実は娘さんが殺されたことを打ち明けた。後ろでは編集長が怒鳴っている。
「繋ぎ止めておくんだ! 一緒に泣いて悲しんでやれ! 交通費を出すと云うんだ! 宿も『エグザミナー』が世話すると云ってやれ!」
 母親は嘆いた。どうしてそんな残酷な冗談を? 警察から連絡があるまで信じません! 受話器を置いたサットンは、猛烈な罪悪感に苛まれた。そして、酒が飲みたくなった。
 なお、この『エグザミナー』はあのウィリアム・ランドルフ・ハーストの新聞である。『市民ケーン』のモデルになった新聞王で、イエロー・ジャーナリズムの急先鋒だ。彼の新聞社では、良心があってはやって行けないのである。



新聞用に修正された現場写真


犯人からの小包

 検視解剖の結果は、更に驚くべきものだった。肛門と膣には何かが押し込まれていた。それは人間の皮膚だった。小片をパズルのように並べると、それは大腿のえぐられた部分であることが判明した。
 彼女の膣は発育不全だった。底が浅く、性交は不可能だ。そこで気になるのが臍から恥丘にかけての裂傷である。性交が出来ないことを知った犯人は、腹を切り裂き、ペニスを突き刺したのではないだろうか? しかし、精液は発見されなかった。洗い流されていたのだ。
 胃の中からは排泄物が発見された。それが犯人のものなのか、それとも彼女自身のものなのかは判らない。いずれにしても、自ら進んで排泄物を食す者はあまりいない。故に無理矢理口に押し込まれたものと思われる。
 首に紐の痕があることから、死因は絞殺かに思われたが、気道はふさがれていなかった。結局、胴体を切断されたことが直接の死因と思われた。つまり、彼女は生きたまま切断されたのである。
 まったく何てこった!

 捜査は難航を極めた。軍人専門のクラブでホステスをしていた彼女の交友関係は幅広かった。前述の通り、彼女は性交が出来なかったので、男たちはいつもおあずけを食らった。そのために、お高くとまった女だと思われていた。多くの男たちから恨みを買っている可能性があった。
 最後の男はロバート・マンリーというセールスマンだった。1月9日、ロサンゼルスのビルトモア・ホテルで別れたっきりエリザベスは行方知れずとなった。ドアマンは彼女がホテルを出たのを目撃していた。それが最後だった。6日後にはノートン通り沿いの空き地で半分になっていた。

 エリザベスの発見から1週間が経とうとしていた頃、ビルトモア・ホテル近くのポストから怪し気な小包が回収された。宛名は「『ロサンゼルス・エグザミナー』ほか各紙」。新聞からの切り文字で「ダリアの所持品」と書かれていた。中にはアドレス帳、名刺、エリザベスの出生証明書、社会保険証、それぞれ違う軍人と撮った写真数枚が入っていた。アドレス帳は数ページ分が破り取られていた。すべてが指紋を消すためにガソリンに浸されていた。
 この贈り物をピークに、ブラックダリア事件の過熱報道は収束していった。今日に至るまで、犯人は逮捕されていない。しかし、1994年に出版されたジョン・ギルモア著『切断』によれば、事件はほとんど解決していた。



エリザベス・ショートの遺体

『ヘラルド・エクスプレス』の記者、アギー・アンダーウッドは、ガーナー・ブラウン警部補と親しかった。ブラウン警部補は「エリザベス・ショート殺しとジョーゼット・バウアドーフ殺しとは関連がある」と考えていた。
 ジョーゼットはエリザベスのホステス時代の同僚である。名門の令嬢だったのだが、家を飛び出して「悪徳の都」で男漁りに耽っていたのだ。しかし、2年前に殺害された。口にタオルを押し込められた状態で、自室の浴槽でうつぶせになって浮いていたのである。部屋からは100人以上の男の指紋が発見されたので捜査は難航した。結局、未解決のままだった。ブラウン警部補はエリザベスとジョーゼットの身の上の類似性に着目し、関連があるのではないかと考えていたのだ。
 アンダーウッドはその線で記事を書き始めた。かたや女優の卵。かたや堕落した社交界のお嬢さま。面白い記事が書けそうだった。
 ところが、編集長はストップをかけた。
「ジョーゼット・バウアドーフの記事はボツだ」
「どうしてですか?」
「ボスからの命令だ」
『ヘラルド・エクスプレス』のボスも新聞王ハーストだった。そして、ジョーゼットの父親であるジョージ・バウアドーフは、ハーストの知り合いだったのだ。ハーストの立場としては、知り合いの娘の醜聞が暴かれることは許されなかったのである。



エリザベス・ショートの遺体

 一方、捜査本部には興味深いタレ込みがあった。犯人を知っている男の話を録音したというのだ。半信半疑でテープに耳を傾けると、かなり詳細な殺害状況が語られていた。しかも、その男はエリザベスが性交が出来なかったことを知っているようなのだ。この時点ではそのことは公表されていなかった。
 その詳細な内容から、伝聞ではなく当人の体験ではないかと思われた。つまり、この録音テープの語り手が犯人である可能性が高い。男はアーノルド・スミスと名乗っていたが、それは偽名で、本名はジャック・アンダーソン・ウィルソンであることが判明した。彼はジョーゼット・バウアドーフ殺しの容疑者だった…。
 ブラウン警部補の推測がここで符合したのだ。
 ところが、いざウィルソンを参考人として呼び出そうとした矢先に死んでしまった。寝タバコが原因で焼死してしまったのだ…。

 あまりに出来過ぎた話だが、『切断』の著者ジョン・ギルモアの父親はロサンゼルス市警の警官なので、信憑性は高いと考えてよいだろう。
 そして、アギー・アンダーウッドの記事が公表されていたら、容疑者が焼死する前に事件は解決していたかも知れない。そう思うと残念でならない。

 なお、本件はその余りに衝撃的な遺体の状況ゆえに、いくつもの創作の題材になっている。ロバート・デニーロとロバート・デュバルが共演した映画『告白』(原作はジョン・グレゴリー・ダン)もその一つだ。また、ジェイムス・エルロイのベストセラー『ブラック・ダリア』ももちろん本件をモチーフにしている。2006年にはブライアン・デパルマ監督により映画化されて、我が国でも話題を集めた。


参考文献

『切断〜ブラックダリア殺人事件の真実』ジョン・ギルモア著(翔泳社)
『犯罪コレクション(上)』コリン・ウィルソン著(青土社)
週刊マーダー・ケースブック44(ディアゴスティーニ)
『ハリウッド・バビロンII』ケネス・アンガー著(リブロポート)
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『ブラック・ダリアの真実』スティーヴ・ホデル著(早川書房)


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