ブラヴォー事件
The Bravo Case (イギリス)



フローレンス・ブラヴォー

 ヴィクトリア朝の有名な未解決事件である。

 1876年4月18日、サウス・ロンドンの豪邸で弁護士のチャールズ・ブラヴォーの具合が悪くなった。その日は夕食にラムのローストとブルゴーニュ産のワインを摂り、寝入りばなの午後9時45分にゲエゲエと吐いて倒れたのだ。駆けつけた医者は毒物中毒の可能性を指摘した。しかし、何の毒だか判らないので解毒剤を処方できない。意識を取り戻したチャールズに心覚えはないかと訊ねると、か細い声で、
「アヘンチンキかも知れない」
 彼には神経痛を抑えるために歯茎にアヘンチンキを塗る習慣があったのだ。しかし、そんな少量でこれほど患うことはない。結局、その日は手の施しようがなかった。
 翌日、皇室の侍医、サー・ウィリアム・ガルが呼ばれた。彼の見立ても毒物中毒で、
「お気の毒ですが、もう助かりません」
 次の日には死亡した。検視の結果、アンチモンが検出された。

 新聞各紙の報道は当初は「自殺説」に傾いていた。というのも、妻フローレンス・ブラヴォーの付き人だったコックス夫人が、故人から
「自分で毒を飲んだ。だが、このことは妻には云わないでくれ」
 と告白されたことを証言したからである。しかし、チャールズの遺族は納得しない。フローレンスが殺したのだと告発し、その線で再審問が行われた。
 たしかに、フローレンスには動機があった。彼女にはジェイムス・ガリーという愛人がいたのだ。

 チャールズとフローレンスが結婚したのは1年前だが、実はフローレンスは初婚ではなかった。彼女は4万ポンドもの遺産を相続した未亡人だったのだ。その4万ポンドが目当てでチャールズはプロポーズした。そんな結婚生活がうまく行く筈もなく、2人の関係は冷えきっていたのだ。

 当日、共に食事を摂ったのはフローレンスとコックス夫人である。チャールズはワインを飲んだが、2人は飲まなかった。怪しいのはそのワインだ。
 しかし、証拠がまるでなかった。このままでは起訴しても、とてもじゃないけど有罪には持ち込めない。かくして、様々な憶測が飛び交う仲でフローレンス・ブラヴォー並びにコックス夫人は不起訴処分となった。

 考えられるもう一つの答えは「事故死」である。チャールズ・ブラヴォーにも妻を殺す動機があることを看過してはならない。つまり、フローレンスを殺すために用意していたアンチモンを過って飲んでしまった可能性もあるのだ。これだとコックス夫人の証言とも符合する。問題は、
「殺人者が過って毒を飲むことなどあり得るのか?」
 ということだが、これに対しては、
「まあ、そういうこともあり得るんじゃないの?」
 としか応えられないことが痛いところだ。

 なお、フローレンス・ブラヴォーは2年後にアル中で死亡している。良心の呵責に基づく飲酒であったかどうかは定かではない。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『殺人の迷宮』コリン・ウィルソン著(青弓社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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