アドルフォ・コンスタンツォ
Adolfo de Jesus Constanzo (メキシコ)



アドルフォ・コンスタンツォ


黒魔術に使われていた納屋


人肉が煮詰められた鍋

 1989年3月14日午前1時頃、テキサス州に接する国境の町マタモロスで、マーク・キルロイという21歳のアメリカ人が行方不明になった。3人のクラスメイトとともにカーニバル見物を楽しんでいたのだが、いつの間にか彼だけがいなくなってしまったのだ。両親の訴えで地元警察は捜査を始めたが、手掛かりは一向に掴めなかった。

 1ケ月ほど経過した4月9日、メキシコの麻薬捜査官は不審な軽トラックを追跡し、荒れ果てた牧場に辿り着いた。粗末なトタン板の納屋からは大量のマリファナやコカインが発見されたわけだが、とにかく悪臭が酷かった。極彩色の像が並ぶ祭壇の前には鍋があった。中を覗くと、人間の脳ミソが煮詰められていた。
「おい! これはどういうことだ!」
 納屋にいた男たちは、抵抗するでもなくヘラヘラしていた。
「お前らには俺たちは捕まえられねえよ。弾なんかはじき返してやる」
 はあ?
「俺たちは魔法の楯で守られているんだ。やれるもんならやってみな」
 なに云っちょるんだ、こいつらは? 呆れ返った捜査官は、云われるままに手錠をかけた。すると連中は「あれ? どうして?」というような顔をした。魔法の楯なんてものは存在しないことに気づいたようだ。ガックリとうなだれて、その場にへたり込んでしまった。

 納屋の裏手の土盛りを掘ると、マーク・キルロイを含む15人の遺体が発見された。彼らは黒魔術の生贄にされたのだ。大規模な麻薬取引が行われる時は必ず生贄が捧げられた。それは古代アステカのしきたりに乗っ取って行われ、犠牲者の心臓と脳ミソがえぐり取られて鍋で煮られた。そうすることで、銃弾をはじき返す魔法の楯を得ることが出来ると信じていたのだ。教祖の名はアドルフォ・コンスタンツォ。その正体は単なるチンピラだった。

 アドルフォ・コンスタンツォは1962年11月1日、フロリダ州マイアミで生まれた。キューバ難民の母親は15歳の時に彼を産んだ。そして、その後はブードゥー教の魔術師を生業としながら、女手一つで彼を育てた。
 幼い頃から手癖が悪かったコンスタンツォは、1980年にメキシコシティに渡り、母親譲りの魔術(ハッタリともいう)を駆使して、地元の麻薬組織との関係を深めて行った。そして、1987年に組織の抗争に乗じて独立し、マタモロス郊外のサンタ・エレナ牧場を拠点に商売を始めた。彼の手下どもは揃いも揃って命知らずで、同業者たちから恐れられていた。魔法の楯に守られていると信じているので、どんな無茶でもへっちゃらなのだ。そんなわけで、コンスタンツォ一味が麻薬組織を牛耳るのは時間の問題かに思われていた。

 1989年5月6日、逃亡中のコンスタンツォを追っていた警察は、彼がメキシコシティのアパートに潜んでいることを突き止めた。包囲された一味はしばらくは銃で応戦していたが、やがてコンスタンツォの情婦であり「ナンバー2」のサラ・アルドレーテが叫びながら飛び出した。
「あの人が死んだ! あの人が死んだ!」
 部屋に踏み込んだ警察は、コンスタンツォとその愛人(男)の射殺死体を発見した。もはやこれまでと悟ったコンスタンツォは、部下に射殺を命じたのである。
 やはり彼の魔術はインチキであった。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『戦慄のカルト集団』ジェイムズ・J・ボイル著(扶桑社)


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