ジーニー・ドナルド
Jeannie Donald (イギリス)



アパートの階段下で発見された袋


中身

 1934年4月20日、スコットランド北東部アバディーンでの出来事である。昼食後、母に頼まれてパンを買いに行ったヘレン・プリーストリー(8)がいつまで経っても帰って来ない。心配した母のアグネスがパン屋に行くと、彼女はとっくに帰ったと云う。アパートの住人たちと手分けをして探したが見つからない。その日はとうとう帰って来なかった。

 翌朝の5時頃、住人の一人が再び捜索に出ようと階下に降りると、階段下に何かが詰まった袋が置かれていた。覗いて見て仰天した。少女の死体が詰まっていたのである。ヘレン・プリーストリーだった。
 死因は窒息死だった。胃の内容物から、死亡時刻は前日の午後2時より前と推定された。処女膜は毀損していなかったが、性器が傷ついていた。

 昨晩から大雨が降っていたにも拘わらず、袋はまったく濡れていなかった。つまり、内部の犯行である。アパートの住人に疑いの眼が向けられた。中でも特に疑われたのがドナルド家である。ヘレンと同じ年の娘がいたことから当初は仲良くしていたのだが、夫人のジーニーがヘレンに手を上げてからは犬猿の仲になり、口もきかなくなっていた。ヘレンも日頃から「あのおばさんがいつも私を睨んでいる」と不平を述べていた。ヘレンの捜索にはアパートの住人のほとんどが参加していたが、ドナルド家だけは別だった。そして、遺体が発見された時、ドナルド家だけが顔を出さなかった。

 ドナルド家の部屋を捜索した警察は、カーペットに血痕らしき染みを見つけた。後に血痕ではないことが判明したが、警察は夫妻を逮捕した(夫はアリバイがあったため、直ぐに釈放された)。

 ジーニーは事件当日の行動を以下のように説明した。
「あの日は午後1時頃に市場に行って卵とオレンジを買いました。それからレジーの店で娘のドレス用の生地を探しましたが、いいものが見つかりませんでした。2時15分頃に帰り、アパートの前でご近所のトップ夫人と立ち話をしました」
 トップ夫人に確認したところ、ジーニーと立ち話したのは2時30分頃で、彼女は帰って来たところなのか、それとも、これから出掛けるところなのかは判らないと云う。ジーニーが答えた卵とオレンジの値段は1週間前のものだった。そして、レジーの店は、その日の午後は休みだった。

 ドナルド家の台所の床には何かを動かした跡があった。娘に訊くと、そこには石炭を入れる箱があったという。そこで捜査官はピンと来た。遺体の髪の毛には炭が付着していたのだ。
 また、遺体を詰めた袋からは、ヘレンのものとは異なる髪の毛が見つかっていたのだが、これがジーニーのブラシに付着しているものと一致した。
 更に、ジーニーの娘から重要な証言を聞き出した。
「朝、食べたパンはいつものと違ってた」
 それはヘレンが買いに出掛けた店のパンだった。

 状況証拠は揃った。しかし、動機が判らない。いくら犬猿の仲だとはいえ、殺人の動機としては弱すぎる。また、性器の傷が説明できない。ジーニーは最後まで沈黙を守り、裁判でも証言台に立つことはなかった。

 結局、ジーニー・ドナルドは動機不明のまま殺人容疑で有罪となり、死刑を宣告された。しかし、後に終身刑に減刑されて、10年後の1944年6月に仮釈放された。そして、1976年に死亡したと伝えられている。

 ジーニーが黙秘を貫いたので真相は判らないが、事件は以下の経過を辿ったものと思われる。
 かつてジーニーがヘレンに手を上げたのは、ヘレンが「ピンポンダッシュ」をしたからであった。おそらくその日もしたのだろう。ヘレンを捕まえたジーニーは首を絞めた。昼食を食べたばかりのヘレンは胃の内容物を戻し、喉につまらせて窒息死した。予想外の出来事に肝を潰したジーニーは、とりあえず石炭を入れる箱に遺体を隠した。そして、性犯罪に擬装するために性器を傷つけた…。
 遺体をもっと遠くに捨てていれば、彼女が疑われることはなかったかも知れない。だが、女の腕力では階下に運ぶだけで精一杯だったのだ。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス )
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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