ポーリン・デュビッソン
Pauline Dubuisson (フランス)



ポーリン・デュビッソン

 理解できない事件である。法廷も本件を単なる「情痴殺人」として片付けることに困惑を覚えた。なにしろポーリン・デュビッソンが殺害した「元恋人」は、彼女の数多くの恋人の一人に過ぎなかったのである。

 1946年、リール大学医学部の学生ポーリン・デュビッソンは、同じ学生のフェリックス・ベイリーと恋仲になった。しかし、彼女は多情家で、一人の男性では満足できなかった。数々の男を渡り歩き、その愛の遍歴を克明にノートに書き綴っていた。フェリックスはポーリンと結婚したいと思っていたが、彼女の浮気は一向に収まらなかった。フェリックスは別れを決意し、故郷のパリに戻り、パリ大学で医学の勉強を続けることにした。

 そして18ケ月が過ぎた。その間にもポーリンは数々の男を渡り歩いていたが、或る日、知人からフェリックスが婚約したことを知らされた。すると彼女は彼の住所を突き止めて、寄りを戻して欲しいと哀願した。しかし、フェリックスにはその気はまったくなかった。ポーリンのことを完全に見限っていたのだ。生まれて初めて男に拒絶されたポーリンは、拳銃を買い求め、リールの大家に書き置きを残した。
「フェリックスを殺して、私も自殺します」
 そして彼女はパリへと向った。1951年3月半ばのことである。

 大家からの警告を受けたフェリックスは、友達に警護を頼んだ。やがて彼女から電話があった。
「ポーリンか? いいか。無茶をするな。話せば判る。僕の部屋? 今はダメだ。散らかってるんだ。駅前のカフェで会おう」
 フェリックスは友達と共にカフェへと出向いたが、ポーリンは約束の時間に現れなかった。否。実は遠方から彼の様子を窺っていたのである。やがてフェリックスは諦めて、部屋に戻ることにした。友達とはアパートの前で別れた。夜の警護は別の友達に頼んでいたのだ。
 尾行していたポーリンは、フェリックスが一人になるのを確認すると、部屋のドアをノックした。友達かと思ったフェリックスがドアを開けるや、ポーリンは3発の銃弾を撃ち込んだ。そして倒れた彼の頭を撃ち抜いてとどめを刺すと、自分に向けて引き金を引いた。しかし、弾は出なかった。そこでレンジのガス管を引き抜いて口にくわえた。意識朦朧としているところに、フェリックスの友達が現れた。結局、ポーリンは自殺を遂げることは出来なかった。

 ポーリンの犯行を知った父親は自殺した。ポーリン自身も拘置所内で手首を切った。遺書にはこのように記されていた。
「私はこの世で最愛の人たちを傷つけてしまった」
 しかし、彼女は今回も死にきれなかった。

 裁判での最大の争点は「動機」だった。別れてから18ケ月も経っているのである。衝動的なものとは考え難い。しかも、フェリックスは彼女の数多くの恋人の一人に過ぎなかったのだ。その一人が婚約したからといって、どうして殺して自らも死ななければならないのだ?

 また、ポーリンのセンセーショナルな過去も物議を醸した。戦時中、17歳の彼女はドイツ軍将校の愛人をしていたのだ。生きるためとはいえ売国奴だったのである。彼女はレジスタンスの活動家から「対敵協力者」と目され、解放後に見せしめとして衆人監視の中で丸坊主にされた。このことが彼女の淫乱症とどう関係があるのかは不明だが、とにかくトンデモない過去の持ち主であることは間違いない。

 しかし、陪審員はむしろ忌わしき過去に同情し、また自殺を繰り返していることも斟酌されて、死刑ではなく終身刑に留めた。
 結局、その詳しい動機については、彼女が多くを語らない以上、謎のままである。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『殺人百科』コリン・ウィルソン(彌生書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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