エイミー・アーチャー=ギリガン
Amy Archer-Gilligan (アメリカ)


 

 団塊の世代が高齢化を迎え、日本はいよいよ転覆しそうである。そんな現状において、エイミーのような人物が真に必要とされているのかも知れない。なにしろ、彼女が経営する介護施設では、5年間で48人も死亡しているのである。高齢化対策として、これほど有効な手段もないのではないか?

 高齢者と要介護者のための施設「アーチャー・ホーム」がコネティカット州ウィンザーに設立されたのは1907年のことである。経営者は33歳のエイミー・アーチャー。出資者は彼女の夫、ジム・アーチャーだった。
 エイミーはニューヨークのベルヴュー病院に勤めていた極めて有能な看護婦だった。「アーチャー・ホーム」の評判もよく、入居者は絶えなかった。ところが、死亡者も絶えなかった。近隣の者は不思議に思った。
「あそこって、いつも霊柩車が止まってない?」

 1912年、エイミーは雑役夫として赤毛の二枚目、マイケル・ギリガンを雇い入れた。それからというもの、夫ジムの飲み友達は愚痴につきあわされることとなる。
「エイミーはあの赤毛と仲が良すぎる…」
「そんなことないって。ジムの思い過ごしだって」
「いいや。あいつらは絶対にデキてる」
 ほどなくして、ジムはポックリと逝ってしまう。そして、未亡人は早々にエイミー・アーチャー=ギリガンとなる。飲み友達は、
「えっ? マジで!?」
 と驚愕するも、更に顔面蒼白となる事態が勃発する。1年後に赤毛の二枚目もポックリと逝ってしまうのである。

 ここまであからさまだと噂にならない筈がない。地元の新聞記者がエイミーと「いつも霊柩車が止まっている」ホームについて調査を始めた。
 記者は生命保険の方面から調べたがスカだった。入居者には保険はかけられていない。しかし、入居するための頭金が極めて高額であることに気づいた。なるほど。長く生きてもらっては目減りするってわけか。

 問題は殺害方法である。外傷がないわけだから毒殺だ。記者はエイミーの写真を近隣の薬局に見せて回った。そして、遂に殺鼠剤、すなわち砒素を大量に購入していることを突き止めた。
 この発見が警察を動かし、最も新しい遺体が掘り起こされて検視解剖に回された。フランクリン・R・アンドリューズは1914年5月30日までは健康そのものだったのだが、夕食後に突如として腹痛を訴え、その晩のうちにも死んじまったのである。誰が考えても毒を盛られたであろうことは明白で、案の定、砒素が検出された。他の遺体も掘り起こされた。赤毛の二枚目も掘り起こされた。やっぱり砒素が検出された。

 1917年6月、エイミーはコネティカット州ハートフォード裁判所の被告席にいた。当初は5件の殺人で起訴されたが、弁護人の異義申立てにより訴因は1件に絞られた。最後の犠牲者、アンドリューズの件である。
 当然のことながら、エイミーは無罪を主張、己れが如何に敬虔なクリスチャンで、要介護者のために心血を注いできたかを訴えたが、陪審員を納得させることはできなかった。判決は死刑。控訴審では一転して罪を認め、終身刑に減刑された。後に精神異常であることが立証されたため、そっちの病院に入れられた。そのまま1928年に死亡。59歳だった。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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