ネヴィル・ヒース
Neville George Clevely Heath (イギリス)



ネヴィル・ヒース


被害者の身体に残る鞭の痕

 1946年6月21日朝、ロンドンはノッティング・ヒルのペンブリッジ・コート・ホテルで、妙齢女性の遺体が極めて異常な状態で発見された。ベッドの上で全裸のまま仰向けのその背中には、乗馬用の鞭の痕がはっきりと残っていた。足首を縛られ、口はスカーフで猿轡をされている。手首にも縛られた痕があった。乳首はほとんど噛み切られており、膣は火掻き棒のようなものを無理矢理押し込まれたらしく、激しく損傷していた。直接の死因は窒息だった。

 彼女と連れの男は「ヒース夫妻」とフロントで署名していた。男については目撃証言からすぐにネヴィル・ヒースであることが判った。「空軍中佐」を騙る常習的な詐欺師である。一方、被害者のマージェリー・ガードナーも裏社会に通じる脛に疵持つ存在で、警察のブラックリストにその名を列ねていた。
 2人が以前からの仲だったことは明らかである。前夜はサウス・ケンジントンのクラブでダンスに興じ、12時頃にタクシーでペンブリッジ・コート・ホテルに訪れた。ヒースにはS、マージェリーにはMの傾向があり、2人は割れ鍋に綴じ蓋の名パートナーだったのだ。ところが、その晩はヒースはいささか飲み過ぎて、ついやり過ぎてしまった。
 我に返ったヒースはイギリス海峡に面するワーシングに逃亡し、そこで婚約者のイボンヌ・シモンズに会い、このように語った。

「私が泊まっていた部屋で殺人事件があったんだ。被害者の女とは知り合いでね、彼女に頼まれて部屋を貸してやったんだが、まさか殺されるとはね。警察に呼ばれて遺体を確認したけれど、いやあ、そりゃ酷い有り様だったよ」

 翌日、ボーンマスまで逃げ延びたヒースは、そこでロンドン警視庁に手紙を書いた。内容は概ねイボンヌに語ったことと同じである。

「あれは午前3時頃のことです。私が部屋に戻ると、彼女は御存知のような状態になっていたのです。私は自分の社会的地位を慮り、荷物をまとめて逃げ出してしまいました。警察に知らせるべきかどうか何度も迷ったのですが、決心がつきませんでした。
 犯人は、年齢はおよそ30歳、髪は黒く、短い髭を生やしていました。痩せて、背丈は180cm。ジャックと名乗っていました」

 2週間後の7月5日、ボーンマスにあるノーフォーク・ホテルの支配人が、宿泊客のドリーン・マーシャルが行方不明になった旨を警察に届け出た。別のホテルに「空軍中佐ルパート・ブルック」の名で宿泊していたヒースは支配人に質問された。
「行方不明になったのは貴方と夕食を共にしていた女性ではありませんか?」
「違いますよ」と笑って受け答えていたヒースは、大胆にも偽名のまま警察に出向き、行方不明になった女性の写真が見たいと願い出た。そして、写真を一目見るなり「やや、これは私が夕食を共にした女性ではありませんか!」と大袈裟に驚いて見せた。
 この頃にはとっくにヒースの手配写真が全国の警察に出回っていた。
「なあ、お前さんの名前は本当はヒースって云うんじゃないの?」
 とととととんでもないと必死に否定したヒースであったが、結局そのまま逮捕された。間もなくドリーン・マーシャルの遺体がホテル付近の茂みの中で発見された。喉が切り裂かれ、乳首や性器が噛み切られていた。

 ヒースは精神異常を主張したが、陪審は有罪を評決し、1946年10月26日に絞首刑に処された。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
週刊マーダー・ケースブック44(ディアゴスティーニ)
『恐怖の都・ロンドン』スティーブ・ジョーンズ著(筑摩書房)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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