アルフレッド・パッカー
Alferd Packer
a.k.a. Alferd Packer
 (アメリカ)



アルフレッド・パッカー

 チャップリンの『黄金狂時代』は、ドナー隊が遭難したトラッキー湖畔で撮影されているが、物語のモチーフはむしろ本件である。
 アルフレッド・パッカーが人を食べたことは間違いない。問題なのは「自ら殺して食べたか否か」だ。

 時は1873年秋、アメリカ西部はゴールドラッシュで沸いていた。今日も一獲千金を夢見る19名の一行がユタ州ソルトレイクを旅立った。その先達を務めたのが、元北軍兵士のアルフレッド・パッカーだった。
 数週間が過ぎた。成果はさっぱりだった。遭難寸前でインディアンの部族に助けられた。酋長曰く、
「もう馬鹿な夢を追うのはおよしなさい」
 10名が酋長の助言に従った。ところが、残りの9名は諦めなかった。
 やがて意見の違いで仲間割れし、二手に分かれた。パッカーの先達としての腕前に疑問を抱き始めた4名は、グニソン川沿いに下ることにした。それでも2名が餓死した。一方、パッカーを信じた5名は全滅した。食べられたのだ。

 1874年3月のとある日、一人の男がデンバーのインディアン居留地に助けを求めた。衣服はボロボロで、一見にして遭難者だと判ったが、それにしては肥えていた。パッカーだった。なんでも5名の仲間に置き去りにされたのだと云う。手元に残されていたのは1挺のライフルだけで、それでどうにか獲物を仕留めて、生き延びてきたと云うのである。
 10日ほど静養した後、パッカーはペンシルベニアの兄の家へと向った。道中、酒場で大酒を喰らい、決死の遭難話を自慢げに語った。大金を持っていたらしい。次第にパッカーが他の5名を殺したのではないかという噂が立ち始めた。
 4月2日、先の居留地の管轄事務所に一人のインディアンが、
「はくじんのにく、ひろった」
 と届け出た。付近の雪が残っている場所に落ちていたというのだ。
「本当に拾ったのか?」
「インディアン、うそつかない」
 うわあ。もうこういう古いギャグ、やめようよ。
 ええと。
 とにかく、その肉には食べたような跡があったんだな。そこで思い出されるのがアルフレッド・パッカーだ。あの野郎、仲間を食べて生き延びてたんじゃないか? そして、インディアン居留地に辿り着いて「助かったあ」と安堵して、仲間の肉を捨てたんじゃないか? 早速、パッカーはしょっぴかれた。
 おい、この肉はなんじゃらほい。
 その場にへなへなと崩れ落ちたパッカーは、以下のように供述した。

「食料がなくなってしまったのです。厳しい寒さのために、動物たちは巣から出て来ません。最悪でした。私たちは草の根を掘り起こして数日を凌ぎましたが、栄養なんてないんですよ、根には。やがて互いを見る目つきが変わってきました。こいつは俺を喰おうと思ってるんじゃないか? 皆が疑心暗鬼の状態に陥ったのです。
 或る日、薪を拾いに行っていた私が戻ると、最年長のイスラエル・スワンが殺されていました。撲殺でした。残りの者は死体を切り刻んで食べる準備をしていました。スワンの所持金2000ドルは皆で分けました。
 スワンの肉は数日しか持ちませんでした。次はフランク・ミラーが犠牲になりました。太っていて肉づきがよかったからです。薪を拾おうと屈んだ彼の頭を鉈で割りました。
 ジェイムス・ハンフリーとジョージ・ヌーンを食べてしまい、とうとう私とウィルソン・ベルだけになってしまいました。私たちは不可侵条約を結びました。互いに殺し合うくらいなら飢え死にしようと誓い合ったのです。
 ところが、数日後にウィルソンが銃で殴り掛かってきました。私はそれをかわすと、傍らにあった鉈で応戦して殺しました。それから肉を切り取り、食料として携帯しました。その肉がそれです。丘の上からインディアン居留地が見えた時に捨てたものです。正直に申しますと、私は人肉、特に胸のあたりの肉を好むようになっておりましたので、しぶしぶと捨てたのです」

 これが真実であるならばパッカーに罪はないかに思える。極限状態における食人であり、しかも、最初に始めたのは彼ではない。最後の殺人は正当防衛である。しかし、あくまでも彼自身による供述であり、真偽を確かめる必要がある。パッカーは現場に案内することに合意したが、隙を見て逃亡を企てた。
 太え野郎だ。
 警備兵たちにボコボコにされて、その身柄は保安官に引き渡された。

 6月になって、クリストバル湖畔でスケッチをしていた画家が5つの遺体を発見した。うち4体はきれいに並べられ、後頭部には銃創があった。少し離れたところのもう1体は、鈍器、おそらくライフルの銃底で頭部を粉砕されていた。現場から続く小道を行くと丸太小屋があり、中から犠牲者たちの所持品が見つかった。
 パッカーの供述は出鱈目だったのだ。おそらくパッカーはこの丸太小屋で雪解けを待ちながら、遺体まで何度も往復して食料を調達していたのだ。保安官は5件の殺人で逮捕状を請求した。ところが、パッカーは再び逃亡を企て、このたびはまんまと逃げ延びてしまった。



『カンニバル! THE MUSICAL』

 パッカーが再逮捕されたのは9年後、1883年3月12日のことである。ジョン・シュワルツという偽名で無法者の一団に紛れていたのだ。
 裁判においてパッカーは、自分が殺したのはウィルソン・ベルだけで、しかも正当防衛だったと主張した。5人が仲違いを始め、互いに殺しあったと云うのだ。しかし、これは当初の供述とは異なる。陪審員たちはもうパッカーのことを信じなかった。メルヴィル・ジェリー判事までもがパッカーに毒づいた。

「ヒンズデール郡には民主党員が7人しかいない。なのに貴様はそのうちの5人を喰っちまった。この共和党員の糞ったれめ!」
(Packer, you depraved Republican son of a bitch ! There were seven Dimmycrats in Hinsdale County and you ate five of them !)

 死刑が宣告されたが、再審で懲役40年に減刑、恩赦により1901年1月1日に釈放された。服役中も釈放後も一貫して無罪を主張し続け、1907年4月24日にデンバーの農場で死亡した。65歳だった。


 御当地では当時も今もアルフレッド・パッカーは人気者である。『民主党員を喰った男』という歌が流行し、コロラド州立大学の学生食堂は彼にちなんで「アルフレッド・パッカー・メモリアル・グリル」と名付けられた。今日でも繰り返し創作の題材になっており、最も有名なのがトレイ・パーカーの初監督作『カンニバル! THE MUSICAL』だろう。

 パッカーは実は無罪なのではないかという検証も繰り返し行われている。1989年には科学者チームが最新の法医学技術を駆使して検証し、出した結論が「やっぱり有罪」。遺体から肉を削いだ時に骨についたナイフの傷跡がどれも同じで、同一人物による犯行を示していたのだ。ジェイムス・スターズ教授曰く、
「パッカーは朝昼晩と切り身にした人肉を食べていた。ウサギを食べて生き延びることも出来た筈なのに」


参考文献

『カニバリズム』ブライアン・マリナー著(青弓社)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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