マルセル・プティオ
Marcel Petiot (フランス)



マルセル・プティオ


問題のストーブ

 1944年3月11日、ドイツ軍占領下のパリでの出来事である。ルスール街21番地の屋敷の煙突から黒煙が立ち上り始めてからもう5日も経つ。あまりの悪臭に堪え兼ねた近隣の住人が警察に通報した。玄関には鍵がかかっている。2階の窓から侵入した消防士は、玄関から出て来るなり嘔吐した。もう1人が蒼醒めながら警官に云った。
「これは君たちの仕事だ。私たちの手には負えない」
 黒煙と悪臭の出所は地下にあるストーブだった。半開きの口からは女性の手が突き出していた。床には腐敗した頭部を始めとして、様々な肉塊が散乱していた。
 えらいこっちゃ。
 近くのカフェに駆け込んで上司に連絡した警官は、1人の中年男に呼び止められた。
「私はあの屋敷の持ち主の弟なのですが、何かあったんですか?」
 かくかくしかじかと惨状を話すと、男は小声で云った。
「あなたはフランス人ですか?」
「勿論だ」
「ならばお話ししますが、遺体はいずれもドイツ人と売国奴なんですよ」
「はあ?」
「実は私はレジスタンスのリーダーでしてね」
 ああ、なるほど。ならばすべてが合点が行く、と警官はこの男の云うことを信じてしまった。
「事情を詳しくお話ししたいのですが、自宅に300人にも及ぶレジスタンスの名簿があるんですよ。敵に見つかる前に焼却しなければなりません」
「そりゃ大変だ。あなたは早く帰りなさい」
「はい。後で必ず出頭致します」
 男は自転車にまたがるや否や逐電。出頭することはなかった。実はこの男が「死神博士」ことマルセル・プティオだったのだ。遺体はドイツ人でも売国奴でもない。ユダヤ人だったのである。

 マルセル・プティオはその過去を洗えば洗うほど胡散臭い人物である。
 1897年、パリ郊外のオーセールで生まれた彼は、5歳の時に父親を、8歳の時に母親をなくし、以後は親類をたらい回しにされて育った。幼い頃から賢い子供だったようだが、その反面でサディスティックな傾向も見せていた。動物虐待である。飼い猫に熱湯をかけたり、鳥の眼を針で潰したりしていたという。学校での素行も悪く、2回も退学処分になっている。
 陸軍に入隊した彼は第一次大戦で負傷してから精神障害の兆候を見せるようになり、それを理由に除隊された。にもかかわらずパリ医科大学で学位を取得し、ヴィルヌーブで開業医を始める。なんと精神障害を理由に除隊された男が医者になってしまったのだ。なんだかトンデモない話である。
 1926年には町長選に出馬して当選するも、4年後には公金横領で有罪判決を受ける。以後はガタガタガタと堕落の一途。彼を巡る悪い噂は絶えなかった。曰く、違法な中絶手術を請け負っている。曰く、麻薬を密売している。現実にヘロインを違法に処方した容疑で逮捕されたこともある。また、患者の予期せぬ死が相次ぎ、殺人さえも噂されるようになった。町長に当選した頃に家政婦兼愛人のルイゼット・ドラボーが失踪しているが、彼の仕業ではなかったか? いずれにしても倫理観が著しく欠落している人物であることは確かだ。彼は逮捕されるたびに陸軍時代のカルテを持ち出し、己れの狂気を理由に無罪を主張していたのだが、その反面で開業医は続けていたのである。まさに気狂い博士とは彼のことだ。


 問題の屋敷はパリに移ってからのプティオの診療所だった。内部を捜索した警察は、診察室の奥に奇妙な三角形の小部屋を発見した。



 入って右側にドアがあるが、それは見せかけだけで開かなかった。脇には呼び鈴もあり、これも見せかけである。壁は防音で、首輪がぶら下がっている。覗き穴らしきものもあった。誰もが処刑室を連想した。おそらくプティオは犠牲者をここに閉じ込めて毒ガスを注入、その悶え苦しむ様を覗き穴から観察していたのだ。



 中庭には1メートルほどの石灰の山があり、中からは様々な人体部品が発掘された。裏のガレージには下肥用の穴があったが、この中も石灰と人体部品で埋められていた。
 ここが死神博士の殺人工場だったことは誰の眼から見ても明らかだ。ところが、肝心の死神博士の行方は杳として知れなかった。



スーツケースの山を前に困るプティオ


でも、平気で居眠りする

 彼の身柄が確保されたのは、パリ解放後の10月31日のことである。髭を生やして「アンリ・バレリー大尉」と名乗り、国軍に紛れ込んでいたのだ。
 プティオは少なくとも63人を殺したことは認めたが、それはすべてレジスタンス活動の一貫だったとの主張を譲らなかった。しかし、彼が多くのユダヤ人の失踪に関わっていることは揺るぎない事実なのだ。彼は斡旋人を介して手数料2万5千フランでユダヤ人の国外逃亡を手助けしていた。そして、その全員が現在行方知れずなのである。ルスール街21番地の屋敷からは47個ものスーツケースが発見されている。中身は1691枚
もの衣類である。どう見ても旅支度の品々であり、ドイツ人や売国奴のものとは思えない。

 捜査が進むにつれて、ユダヤ人の他にもかなりの人数を殺していることが判明したが(よって、彼が自白した63人は実数に近いと思われる)、訴因はルスール街21番地で発見された27人分に絞られた。
 死神博士の裁判はフランス全土の注目の的となった。それはランドリュー以来のイベントだったという。最も盛り上がったのは、実地検分を兼ねてルスール街21番地で行われた第5回公判だ。多くの取材陣を前にして舞い上がったプティオは、嬉々として「処刑室」を説明した。やはり覗き穴はガスで苦悶する様を観察するためのものだったことが彼の口から飛び出した。それでも殺したのはドイツ人に売国奴。それの一点張りだった。

 結局、プティオは24件の殺人で有罪になり、1946年5月26日にギロチンにより処刑された。その模様を盗撮した写真が手元にあるが、アレなので掲載するのはやめておこう。

 なお、我が国で1994年にアルバトロスが劇場公開した『怪人プチオの密かな愉しみ』は本件の映画化作品である。しかし、アート系の作品であるためにメリハリがなく退屈だ。こういうのを輸入するからアルバトロスはダメなのだ。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
週刊マーダー・ケースブック52(ディアゴスティーニ)
『世界犯罪者列伝』アラン・モネスティエ著(宝島社)
『死体処理法』ブライアン・レーン著(二見書房)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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