マーサ・レンダル
Martha Rendall
a.k.a. Martha Rendell (オーストラリア)


 

 継母が塗るイソジンガーグルには御用心。一言で云えばそんな事件である。

 マーサ・レンダルがトーマス・モリスの家に転がり込んだのは1906年のことである。先妻との間の5人の子供にとっては大災難だ。「お母様」と呼ぶことを強要され、些細なことで鞭打たれたのだ。子供たちがみるみるとやつれていくのをご近所さんも見ていたが、「波風立てちゃなんねえ」と見て見ぬフリをしていたというからあんまりだ。

 翌1907年、長女のアニー(7)と次女のオリーヴ(5)が喉を腫らして寝込んでしまった。
「おそらく風邪じゃろう」
 往診に来た医者は塗り薬を処方した。その晩、お母様がそれを塗ると、2人の娘は痛い痛いと泣き叫んだ。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い遺体。アニーはそのまま死んでしまった。すぐにオリーヴも後を追った。2人とも死因はジフテリアと診断された。

 翌1908年、三男のアーサー(14)が喉を腫らして寝込んでしまった。お母様は塗り薬を塗ってあげた。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。お母様は楽しくて堪らない。たっぷりと塗ってあげた。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い遺体。アーサーもまた死んでしまった。今回もジフテリアと診断された。

 翌1909年、今度は次男のジョージが喉を腫らして寝込んでしまった。妹や弟たちの死に様をつぶさに観察していた彼は、あれを塗られるぐらいならと家を飛び出す。すぐさま警察に補導されたが、彼は頑なに帰宅を拒んだ。
「お母様に殺される! 僕はまだ死にたくない!」
 これは深い事情がありそうだと聞き込みして回ったところ、なるほど、既に3人も死んでいる。捜査の必要性を感じた警察は、遺体を掘り起こして検視解剖に回した結果、喉に塩酸がたっぷりと塗り込められていることが判明した。痛いわけだよ、塩酸だよ。
 こういうことだったのだ。まず塩酸入りの飲み物を飲ます。喉が腫れたところで塩酸を塗り込む。症状としては喉の粘膜の炎症だけなので、ジフテリアと診断されてしまったのである。
 かくして鬼のお母様は継子殺しで有罪となり、1909年10月6日に絞首刑に処された。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)


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