スチュナム・シン・サンドゥー
Suchnam Singh Sandhu (イギリス)


 

 1968年4月5日午後10時52分、ユーストン発の列車が終点のウォルバーハンプトン駅に到着した。車内には薄緑色のスーツケースが置き忘れられていた。中身を確認した遺失物係は仰天した。首を切り離された女性の上半身が収納されていたのである。
 翌日の昼頃、イルフォードの橋の下で、もう1つのスーツケースが発見された。中身は昨日の続きの下半身である。足りないのは頭だけだ。

 検視解剖によれば、被害者の女性は有色のアジア人で、年齢は18歳〜30歳。処女ではなく、最近モグリの堕胎手術を受けた形跡がある。フェノバルビタールを致死量服用しているが、それが直接の死因ではない。遺体はインドの民族衣装を着用していた。足に残るサンダルの跡から、被害者が靴を履くようになったのは近年のことで、渡英して間もない女性と思われた。

 ユーストン駅の聞き込みにより、例のスーツケースを運び込んだのは有色人種の男だと判明したが、それ以上は何の進展も見ずに1ケ月が経過した。
 5月8日、ウォンステッド・フラッツの道路脇の茂みの中でようやく頭部が発見された。鈍器により2回殴られているが、これが死因であるかは不明である。
 産科医への聞き込みもようやく実を結んだ。サラブジット・コーというインド人の若い女性がバーキング病院の産科で受診していたことが判明したのだ。担当医により遺体はサラブジットであることが確認された。

 被害者の下宿先を調べた警察は、父親の名とその住所を突き止めた。インド国籍のスチュナム・シン・サンドゥーである。当初は「そんな娘などおらん」と否定していたサンドゥーだったが、家宅捜索で彼女の写真が見つかると供述を変えた。娘は2月に家を飛び出してからは手紙一つよこさない。どこにいるかも判らない。妊娠していたことも知らなかったの一点張りだ。逮捕後2日目にようやく娘の遺体を遺棄したことを認めたが、この期に及んでも事故死だったと云い張る始末。裁判で明らかになった事実は想像を絶するものだった。彼は娘の首を生きたまま切断したのだ。

 サンドゥーはインド北部パンジャブ地方出身のシーク教徒で、教養があり英語も堪能で、地元では校長を務めていたほど人物である。彼の夢は娘を医者にすることだった。長女のサラブジットはデリー看護学校に通っていたが、それではまだ不十分だ。娘の将来を考えて、思いきって家族そろって英国に移住することにした。前年の1967年のことである。

 娘は父親の期待通りにイーストハム工科大学医学部に入学した。ところが、困ったことに彼女はインドにいた頃から妻帯者の従兄弟と不倫関係に陥っており、渡英後も秘かに恋文を交わしていたのだ。父からすれば誠に嘆かわしいことである。お前のためにこうして家財を投げ打ってわざわざ渡英し、アルバイト仕事で家計を支えているというのに何しちょる。ええかげんにせえよ。サンドゥーは娘に手をあげるようになり、あわや首を絞めかけたこともあったという。
 このままではお父さんに殺される。サラブジットは家出してイルフォードの下宿に身を隠すも、11月20日にバーキング病院で妊娠6ケ月と診断される。これは彼女にとっても不本意なことだった。両親に泣きついた彼女はモグリの堕胎手術を受けさせられて、ほどなくして下宿は引き払われた。そして、運命の1968年4月4日が訪れる。

 以下はサンドゥーの供述に基づくものである。
 その日は下の2人の娘は学校で、妻も外出していた。2階の寝室から降りて来たサラブジットは、サンドゥーを見るなりこう云った。
「たった今、致死量のフェノバルビタールを飲んだわ。あの人と暮らすことを許してくれないなら、このまま死んでやるから」
 カッとなったサンドゥーは我を忘れて、そばにあった金槌を掴むと、娘の頭を2度殴りつけた。彼女は床に崩れ落ちた。殺してしまったと思った。
 サンドゥーは寝巻から服に着替えると、徒歩15分ほどの金物屋に行き、糸ノコを買って帰宅した。そして、再び寝巻に着替えて、娘を浴室に運んで解体し始めた。まず首から斬り始めたところ、娘は息を吹き返し、糸ノコの歯を手で掴んだ。それでも構わずノコを引き続けたので親指がちぎれた。やがて彼女は動かなくなった…。

 裁判では古代シーク教徒の慣習が取り上げられた。不名誉な死を遂げた者の死体は、汚名をそそぐために切り刻んで方々にバラ撒かなければならないのだそうだ。しかし、それはあくまでも古代の話であり、近代的な教育を受けているサンドゥーがそれを遂行したとは思えない。

 サンドゥーの供述にはいくつもおかしな点がある。犯行当日、どうして他の家族は全て留守で、彼は仕事を休んでいたのか? また、サラブジットが処方されたことのないフェノバルビタールをどうして持っていたのか? 本当に彼女が自分で飲んだのか? 全てがサンドゥーの計画的な犯行ではなかったか?
 陪審員も娘が自殺を図ったとの供述には懐疑的だ。ためらいなくサンドゥーに終身刑を云い渡した。それにしても、親が子を生きたまま切断するとは、想像を絶する事件である。


参考文献

『死体処理法』ブライアン・レーン著(二見書房)
http://www.britishmurders.co.uk/murder-content.php?key=8482&name=Suchnam%20Singh%20Sandhu


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