ジョン&ジャネット・アームストロング
John & Janet Armstrong (イギリス)


 

 1956年7月22日、ポーツマス近郊のゴスポートで、アームストロング夫妻の生後5ケ月の息子テレンスが死亡した。死因は毒性の果実による中毒死と思われた。3歳の姉が庭に生えるそれを口にして中毒症状を起こしていたからだ。おそらく弟にも食べさせたのだろう。
 ところが、検視の結果は異なるものだった。胃の内容物からセコナールが検出されたのだ。鎮静剤や睡眠薬として用いられる薬物である。
 姉の吐瀉物からもセコナールが検出された。中毒の原因は果実ではなかったのだ。
 これに対してアームストロング夫妻は反論した。
「うちにはセコナールなんて置いていない。これはなにかの間違いだ」
 果たしてそうだろうか? というのも、夫のジョンが勤務していた海軍病院では、数ケ月ほど前にセコナールのカプセルが盗まれていたのだ。
 しかし、ジョンが盗んだ証拠はない。已むなく死因審問は「open verdict(犯人未定のままの犯行確認)」を評決した。

 事件が動いたのは翌1957年7月になってからだ。既に別居していた妻のジャネットが警察に出頭し、このように供述したのだ。
「夫はセコナールを常用していました。そして、あの子が死んだ後、処分するように命じられました」
 かくしてテレンスの死亡から1年2ケ月後の1957年9月、夫妻は殺人の容疑で起訴された。
「我が子を殺すわけないじゃないですか!」
 無実を訴えるジョンの足をジャネットが引っ張る。
「夫はあの日、家にいました。あの子と2人きりだったんです」
 かくしてジャネットは無罪、ジョンは有罪となり終身刑を云い渡された。

 この物語にはトンデモないオチがある。結審から1ケ月後、無罪放免となったジャネットが、自分が子供を寝かしつけるためにセコナールを飲ませたことを告白したのである。しかし、一事不再理の原則ゆえに彼女を改めて訴追することは出来ない。一方、哀れなジョンはその後どうなったのか、参考文献には記されていない。

(2008年7月25日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)


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