エルヴァイラ・バーニー
Elvira Barney (イギリス)



エルヴァイラ・バーニー


マイケル・スティーヴン

 1932年5月31日深夜、ロンドンのトーマス・ダラント医師宅の電話が鳴った。受話器を取ると、ヒステリックな女性の声が飛び込んで来た。
「先生、お願いです! すぐ来て下さい! とんでもない事故が起こったんです!」
 電話の主は、ロンドンの社交界では知らぬ者はいない大金持ち、当世風に云えば「セレブ」のエルヴァイラ・バーニー(27)だった。
 やれやれ、どうせまた酒飲んで暴れたんだろうよ。
 イヤイヤながらもダラント医師は、ロンドンの高級住宅地ナイツブリッジのウィリアムズ・ミューズ21番地に駆けつけた。

 事態は医師が思っていた以上に深刻だった。2階の寝室にはエルヴァイラの愛人マイケル・スティ−ヴンが倒れていた。胸を撃たれている。息をしていなかった。そばには32口径のスミス&ウエッソンが生々しく転がっていた。
 警察が駆けつけた頃にはエルヴァイラは落ち着きを取り戻していた。
「署までご足労願いましょうか」
 すると、エルヴァイラはこれを拒み、ギャーギャーと喚き始めた。
「パパとママが迎えに来るまで行かないんだってば! 絶対に行かないんだってば!」
 さすが「セレブ」。傍若無人な我が儘ぶりである。
(ちなみに、私にとって「セレブ」という言葉は、差別用語以外のなにものでもない)

 両親が呼ばれて、ようやく署に連行されたエルヴァイラは、事のあらましをこのように語った。

「昨日の夜はカクテル・パーティ−を開いていたの。みんなで盛り上がって、それからカフェ・ド・パリに繰り出したわ。帰って来たのは真夜中過ぎ。気分はサイコーだったので、マイケルとHしたの。その後にケンカになった。彼はもう別れたいっていうのよ。あんまりじゃない」

 写真をご覧になれば判るかと思うが、この人、27歳にしてはかなりのおばはん顔である。しかもバツイチだ。かたやスティーヴンは甘いマスクの色男。別れたかったのも納得できる。

「カッとなった私は叫んだわ。自殺してやるって。それで銃を出したの。そしたらマイケルが馬鹿な真似はするなって銃を取り上げようとした。それで揉み合いになって、気がついたら銃が暴発していたの。信じて。本当なのよ」

 警察は信じなかった。支配欲の強い我が儘なお嬢さまが愛人の裏切りを許せずに殺害したと判断、かくしてエルヴァイラは殺人の容疑で起訴された。


 裁判が始まった時点では、状況はエルヴァイラに不利に思えた。ところが、弁護人のパトリック・ヘイスティングス卿はかなりのやり手だった。検察側の証人をことごとく打ち破って行った。
 例えば、現場の向かいに住むホール夫人はこのように証言した。

「あの晩はもう真夜中だというのに、バーニーさんとスティーヴンさんが喧しく争う声が聞こえてきました。そのうちにバーニーさんが『出て行ってよ!。撃ってやるから!(Get out ! I'll shoot.)』と叫んだかと思うと1発の銃声が鳴り響きました。『えっ、何があったの?』と聞き耳を立てると、スティーヴンさんの『ああ、なんてことをしてくれたんだ』という悲鳴にも似た声が聞こえました。
 間違いないですかって? もちろん。お2人の大声は聞き慣れていたので。ええ、ご近所迷惑だったんですよ、いつも夜中までお酒を飲んではドンチャン騒ぎでね。だから間違いはございません」

 これに対してヘイスティングスは、ホール夫人の警察での供述書では「出て行ってよ!。あなたを撃ってやるから!(Get out ! I'll shoot you.)」だったことを指摘、その信憑性を疑わせることでポイントを稼いだ。
 また、ホール夫人は事件前の出来事について、このように証言した。

「あれは事件の3週間ほど前のことです。眠っているとバーニーさんの怒鳴り声で起こされました。なにごとぞと窓から覗くと、スティーヴンさんが玄関でバーニーさんにお金をせびっていました。バーニーさんはすごい剣幕で『出て行かないと警察を呼ぶわよ!』と怒鳴りました。スティーヴンさんはいったんは立ち去りましたが、すぐに戻って来ました。すると、ほとんど裸に近いような格好のバーニーさんが2階の窓から顔を出しました。左手には銃が握られていました。そして『笑ってごらん、坊や。最後に笑ってごらんよ』と叫んだかと思うと、スティーヴンさんの足下に1発撃ったんです。なんてことをするんだと思いましたよ」

 このことは凶器の銃の薬莢が2つ空になっていたことと符合する。エルヴァイラの凶暴性を裏付ける証言である。
 ところが、ヘイスティングスは反対尋問でこのような証言を引き出した。

「ホールさん、その時、スティーヴンは何か云っていませんでしたか?」
「はい、云ってました。正確には覚えてませんが…」
「それは被告を気づかうような内容だったんじゃありませんか?」
「はい、とにかく感情の起伏の激しい人でしたから、銃なんか持っていて自殺するんじゃないかと心配していました」

 ヘイスティングスは見事に「自殺の可能性」を検察側の証人から引き出したのである。

 また、検察側に呼ばれた銃の専門家は、凶器の銃の引き金を引くには6kg以上の力が必要であり、揉み合ったぐらいでは暴発しないことを証言した。
 かたやヘイスティングスは、凶器の銃の引き金をカチャカチャカチャカチャと連続して引いて見せ、こう云ってのけた。
「6kgですか。私にはいとも簡単に引けるんですけどねえ」
 実はこれは彼のパフォーマンスだった。閉廷後、知人に「指が痛くてかなわんよ」などとボヤいていたという。かなり無理してカチャカチャやっていたのである。

 この他にもヘイスティングスはこんなパフォーマンスを抜き打ちで行った。エルヴァイラに向かって出し抜けに大声で指示した。
「バーニーさん、その銃を持って下さい」
 びっくりした彼女は右手で銃を握った。このことは「左手で銃を撃った」というホール夫人の証言と矛盾するものだった。

 また、事件直後に拘置所でエルヴァイラを診察した医師の証言も有利に働いた。彼女の腕には打撲傷があり、手には切り傷があった。つまり、どういう形であれ、揉み合ったことは確かなのである。

 劣勢だったエルヴァイラは一つ一つポイントを稼ぎ、信じられないことに、最後の最後で逆転した。陪審員は2時間の協議で無罪を評決。かくして呪われた「セレブ」は再び世に放たれた。

 釈放されたエルヴァイラはやがてパリに移住、相変わらずの放蕩三昧の日々を送った。
 ところが、4年後の1936年12月25日、滞在先のホテルで冷たくなって発見された。前の晩はクリスマス・イブだ。夜通し朝までドンチャン騒ぎ。そして、帰って来るなりベッドに倒れ込み、そのまま二度と起き上がることはなかった。死因は「酒の飲み過ぎによる肺の鬱血」。なんともバカげた死に様である。
 これでいいのだ。

(2007年10月14日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
マーダー・ケースブック37(ディアゴスティーニ)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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