ブライトン・トランク詰め殺人事件
The Brighton Trunk Murders (イギリス)



手荷物預かり所にてトランクを囲む警官たち

 1934年6月6日、イギリス海峡に臨む保養地ブライトンの手荷物預かり所に1つのトランクが預けられた。引き取り手が現れぬまま10日ほどが経過した頃、そのトランクから異臭が漂い始めた。くっせえのなんの。あまりのことに警察が呼ばれた。中身は頭と両手両足を切断された女性の胴体だった。
 やっぱりね。

 遺体は茶色い紙に包まれて、紐で縛られていた。その紙には青鉛筆で「なんとかフォード」と書かれている。「なんとか」の部分が血糊で読めない。しかし、重要な手掛かりには違いない。

 また、トランクの中には5月31日と6月2日付の『デイリー・メール』紙が入っていた。それはロンドンから80キロ以内に配達される版である。つまり、犯人はロンドンから80キロ以内に住んでいる「なんとかフォード」と関連する人物である。しかし、それでは範囲が広すぎて、どうすることも出来なかった。

 翌日、ロンドンのキングスクロス駅の手荷物預かり所で、異臭を放つスーツケースが見つかった。中身は案の定、両足と両足首である。しかし、残りの頭と両腕はその後も見つからなかった。
 検視を担当したバーナード・スピルズベリーの所見によれば、被害者の特徴は以下の通り。

「年齢は30歳未満。妊娠5ケ月。発見の約3週間前に殺害されたものと思われる。足の状態からして中流階級の出身。重労働に携わった経験はない」

 これだけの情報ではどうにもならない。なにしろブライトン周辺だけでも行方不明の女性が24人もいるのだ。頭が出て来なければ、被害者を特定することさえ出来ない。
 また、トランクが預けられた6月6日はダービーの日で、ロンドンはもちろん、ブライトンも大いに混み合っていた。そのために聞き取り捜査もままならなかった。

 ようやくブライトン駅のポーターがダービーの日にトランクを運んだことを思い出した。持ち主のその男はダートフォードからの切符を持っていた。
 おおっ、「なんとかフォード」は「ダートフォード」だったのか!
 ところが、捜査はここで暗礁に乗り上げる。当日にダートフォードで発行された日帰りの往復切符は5枚あったが、その一部しか追跡することが出来ず、しかも、いずれも事件とは無関係だったのだ。

 ここで事件は新たな展開を迎える。なんと、ブライトンでさらにもう1つのトランクが見つかったのである。



第2のトランク


トニー・マンシーニとヴァイオレット・ケイ

 それは第1のトランク発見から1ヶ月後の7月15日のことである。ケンプ通り52番地のアパートを改築していたペンキ屋が、或る部屋から異臭が漂っていることに気づいた。
 おっ、こいつはひょっとしたら、まだ見つからない頭じゃねえか?
 ペンキ屋は直ちに通報し、踏み込んだ警察は新たなトランクを発見した。しかし、中身は残念ながら頭ではない。まったく別の女性がまるごと折り畳まれていた。その写真が手元にあるが、でろでろに腐敗していて痛ましいほどだ。

 このたびの被害者はすぐに割れた。このアパートを借りていたトニー・マンシーニの愛人で、2ヶ月前から行方不明になっているヴァイオレット・ケイ、本名ヴァイオレット・ソーンダーズである。
 実は彼女は第1の事件の被害者リストに上がっていた。マンシーニも取り調べを受けていた。しかし、彼女の年齢が42歳と高齢だったためにリストから外されて、マンシーニに逃亡の機会を与えてしまったのである。

 26歳のトニー・マンシーニは、こんな顔と名前だが、実はれっきとした英国人で、本名をセシル・ロイス・イングランドという。シカゴのイタリア系ヤクザに憧れて改名したというからバカまるだしだ。そんなわけだから当然に前科者で、16歳も年上の売春婦ヴァイオレットの稼ぎで生活していた。ボンクラの極みである。
 そんな彼も5月からカフェで働き始めた。表向きはウェイターだが、実際のところは用心棒だ。暇な時はウェイトレスとイチャついた。これに焼き餅を焼いたヴァイオレットがベロベロになって店に現れ、
「あんた、ちょっとなれなれしすぎるのよ!」
 直ちにマンシーニに叩き出されたのは云うまでもない。これを最後にヴァイオレットの姿を見た者はいない。5月10日のことである。

「最近、彼女を見ないけど、どうしたの?」
「ああ、あいつなら俺を捨ててパリに行ったよ」
 こう説明するマンシーニは、家賃の安いケンプ通り52番地に引っ越した。やたらと重いトランクをウェイター仲間に担がせて。
 このトランクがトラブルの元になった。アパートの住人たちが臭い臭いと大家のじいさんに苦情を訴えたのだ。あいにくじいさんは鼻がバカだったので、どれだけ臭いか判らなかった。しかし、トランクから茶色い液体が流れ出ていることには気づいた。
「なんか垂れてたけど、臭いの元はあれじゃないのかい?」
「いや、あれはフランス製の光沢剤でね、皆が云うほど臭くはありませんよ」
 こう釈明するマンシーニの内心は冷や汗タラタラだったことだろう。
 ちょうどその頃、ブライトン駅で例のトランクが発見された。マンシーニも取り調べを受けたが、どうにか疑われずに済んだ。この街にこれ以上いるのはヤバい。そう判断したマンシーニは、取るものも取り敢えず高飛びしたというわけだ。

 7月18日未明、マンシーニはロンドンのブラックヒースで逮捕された。貧民窟イーストエンドに身を隠し、どの港から海外に渡ろうかとまごまごしていたところを浮浪者と間違えられて補導されたのだ。取り押さえられた時、観念した彼はこのように申し立てた。
「そうだよ。あんたたちが探しているのは、確かにこの俺だよ。でも、これだけは云っとくぞ。俺はあいつを殺してなんかいない」

 誰がどう考えてもマンシーニは有罪に思えた。彼の弁明も法廷に虚しく響き渡った。

「あの晩は仕事を終えて戻ると、ヴァイオレットがベッドの上で死んでいました。首にはハンカチーフが巻きつけられ、シーツは血の海でした。彼女の客の誰かの仕業だと思いましたが、私はパニックに陥りました。『俺のせいにされるに決まっている』。そこで警察には通報せず、死体をトランクに詰めたのです」

 誰がそんなことを信じるというのだ。
 ところが、当代随一と云われた辣腕弁護士、ノーマン・バーケットの80分にも及ぶ最終弁論が流れを変えた。バーケットは「警察からまともな扱いを受けたためしがない」とのマンシーニ自身の言葉を強調し、陪審員の心に訴えかけたのだ。

「この男は被害者に売春させて貢がせていました。そのことについては情状酌量の余地は全くありません。このような男が住んでいる世界を想像してみて下さい。私たちが住んでいる世界とは違います。一夜の宿にせいぜい1シリング6ペンスしか出せない最底辺の世界なのです。そのような世界で起きた事件であることを肝に銘じて下さい。彼らは警察からまともな扱いを受けたことがないのです。彼らのような前科者の言葉など、警察は信じてくれないのです」

「最終的に判断を下すのは陪審員のみなさんです。あなた方が無罪の評決を出すことによって、法の精神を守ることが出来るのです。すなわち、人は新聞によって裁かれるのではない。ましてや風評によって裁かれるのでもない。正義を行い、証拠に基づいて判断するために招集された陪審員によって裁かれるのだ、と」

 一気に捲し立てた後、陪審席を見渡し、見栄を切るように云い放った。

「この哀れな男のために、法の精神を遵守して頂きたい!」

 これが効いた。陪審員は2時間半の協議で無罪を評決したのだ。マンシーニはきょとんとして、信じられないという風情だった。
「無罪なんですか? バーケットさん、本当に無罪なんですか?」
 一方、功労者のバーケットは、記者のインタビューに対して冷淡に答えた。

「無罪を勝ち取ったわけだが、とてもじゃないが有頂天にはなれないよマンシ−ニは軽蔑に値する奴だ。私が彼に同情したなんて思わないでくれよ。私は職務を全うしただけだ」

 その通りだった。マンシーニは軽蔑に値する男だった。時は流れて1976年11月、金に困った彼は『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』紙に有罪を認める手記を売ったのだ。題して「私は法の裁きを免れた」。まさに最底辺の世界にいる人物だった。

 ところで、諸君はもうお忘れかも知れないが、第1のトランク事件も結局、未解決に終わった。それもこれもマンシーニが途中から現れて、話題をかっさらったおかげである。第2の事件が存在しなければ、ひょっとしたら解決できたかも知れない。

(2007年10月16日/岸田裁月)


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『死体処理法』ブライアン・レーン著(二見書房)
マーダー・ケースブック53(ディアゴスティーニ)
『犯罪コレクション(下)』コリン・ウィルソン著(青土社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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