エリザベス・ブラウンリッグ
Elizabeth Brownrigg (イギリス)



エリザベス・ブラウンリッグ

 助産婦を生業としていたエリザベス・ブラウンリッグは、聖ダンストン救貧院のボランティアも兼ねていた。そのコネで孤児のメアリー・ミッチェル(14)を女中として迎え入れたのが1765年のことである。間もなくもう一人の少女、メアリー・ジョーンズを孤児院から迎え入れた。最初はそれぞれに5ポンドが支払われたが、以後は給金が支払われることは一度もなかった。労働は1日18時間、ボロを着せられ、豚小屋のような汚い部屋で寝かされた。そこは本当に豚小屋で、食事まで豚と同じ皿から食べさせられていたという話もある。

 余りのことにメアリー・ジョーンズは脱走を試みたが、すぐに見つかり連れ戻された。彼女には過酷な罰ゲームが用意されていた。まず裸にされて血が流れるまで鞭で打たれる。お次は水責めだ。水の入った桶に頭から沈められる。このままでは殺される。再度脱走を試みたメアリー・ジョンズは、このたびは孤児院に逃げ戻ることに成功した。彼女は全てを打ち明けたが、スキャンダルを恐れた院長に揉み消されてしまった。この時に告発していればメアリー・クリフォードは死ぬことはなかった。

 メアリー・クリフォード(14)はメアリー・ジョーンズの代わりに聖ダンストン救貧院から連れて来られた孤児だった。
 しかし、どいつもこいつもメアリーなので書きにくいなあ。
 それはさておき、この頃には女中たちの待遇は更に酷いものになっていた。脱走を恐れたブラウンリッグ夫人は、彼女たちに首輪を巻いて鎖で繋いでいたのだ。鞭打ちも日常的になっていた。両手を紐で縛ると天井の梁から吊るし、血が滲むまで打ち据えた。鞭も乗馬用のものにパワーアップしていた。
 助産婦をしているのだから客が来る。メアリー・クリフォードは隙を見て、妊婦の一人に助けを求めた。ところが、このことが彼女に更なる災いを齎す。もう二度と助けを求められないようにと、剃刀で舌を切り取られてしまうのである。いててて。

 1767年7月のとある日、メアリー・クリフォードの叔母が彼女を訪ねてやって来た。姪が孤児になっていたことを知り、引き取りに来たのである。さあ困った。舌を切っちゃったのだ。会わせるわけには行かない。
「舌切りすずめのお宿はよそだ」
 あ、間違えた。
「そんな子はここにはいないよ」
 無愛想に吐き捨てるなり扉を閉めた。以後、幾度も呼び鈴を押せども顔を出さない。不審に思った叔母はご近所さんに聞き込みを始めた。

「たしかに小さな女の子が働いているわよ。夜になると悲鳴が聞こえるので心配してたのよ」

「うん。あたし、見たわ。裸で、背中から血を流していたわ」

「前にも脱走したという話だよ。だけど、噂だからねえ」

 やがて救貧院の訴えで警察が動き、2人のメアリーは救出された。
 メアリー・クリフォードは茶箪笥の中に隠されていた。鞭を打たれて裂けた服地が皮膚に喰い込み、ほとんど瀕死だったという。ただちに病院に運ばれたが、数日後に死亡した。

 家の中には夫のジェイムスしかおらず、夫人と息子のジョンは高飛びした後だった。しかし、事件が大々的に報じられたおかげで情報が集まり、数日のうちに夫人と息子は逮捕された。
 エリザベス・ブラウンリッグの評判は、英国で処刑された女性の中でも最悪だったという。悪名高き鬼女の顔をこの眼で見ようと大群衆が処刑場に押し寄せた。野次と怒号が乱れ飛び、暴動が起きる勢いだったために、処刑はさっさか執り行われた。
 はい上って。ここに立って。せ〜の。ガタン。はい終わり〜。
 最短記録ではないかと云われている。

(2007年1月3日/岸田裁月) 


参考文献

『恐怖の都・ロンドン』スティーブ・ジョーンズ著(筑摩書房)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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