チョークピット事件
The Chalk-pit Murder (イギリス)



トーマス・レイ

 1946年11月末、ロンドン南部ウォルディンガムのチョークピット(白亜坑)で男の遺体が発見された。手足を縛られ、首をロープで幾重にも締められている。遺体の写真が手元にあるが、痛ましいほどの締められようだ。直接の死因は窒息だが、頭部もかなり殴られている。どこか他所で殺害されて、棄てられたものと思われる。
 遺体はジョン・マディーというバーテンダーであることが判明した。

 やがて有力な情報が寄せられた。遺体発見の2日前に、現場付近で挙動不審の男が目撃されていたのだ。その男が乗っていた車のナンバーは、数字の部分が「101」だったという。しかし、捜査はそれ以上は進展しなかった。

 2週間が過ぎようとしていた頃、事件は急展開を迎えた。ジョン・バッキンガムなる男が出頭し、事件への関与を認めたのだ。彼の申し立てによれば、事のあらましは驚くべきものだった。主犯はオーストラリアはニュー・サウス・ウェールズ州の元法務大臣、トーマス・レイだというのだ。

 1927年に汚職の嫌疑をかけられて国外に逃亡した
トーマス・レイは、愛人のマギー・ブルックと共にロンドンに落ち着いた。
 老いてなお盛んなトーマス・レイ67歳は異常に嫉妬深かった。もはや病気といってもよいほどだ。彼はマギーと同じアパートに住むハンサムなバーテンダー、ジョン・マディーが彼女と関係しているのではないかと疑い始めた。もしかしたらマギーがそのような素振りを見せたのかも知れない。しかし、彼女もすでに60代のばあさんである。35歳のマディーと恋愛関係にあるとは到底思えないのだが、老いらくの恋とは一途なもののようだ。レイは知人のジョン・バッキンガムとローレンス・スミスの両名を雇うと、マディーを呼び出して自宅に監禁。誓約書に署名させようとした。ところが、勢い余ってマディーの息の根を止める羽目となってしまった…。

 この供述に基づき、トーマス・レイとローレンス・スミスは逮捕された。スミスが所有していたフォード車のナンバーが「FGP101」。遺体を遺棄したのはスミスに間違いなかった。

 検察側の証人として法廷に立ったバッキンガムは訴追を逃れたが、レイとスミスの両名は共に有罪となり、死刑を宣告された。
 しかし、レイは元法務大臣という身分が斟酌されたのだろう、内務大臣により刑の執行が見送られ、精神異常の疑いありとしてブロードムアに送られた。その2ヶ月後に死亡している。
 一方、スミスも終身刑に減刑された。

(2007年12月1日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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