イヴォンヌ・シュヴァリエ
Yvonne Chevallier (フランス)



イヴォンヌ・シュヴァリエ

 もともと2人の結婚は歓迎されるものではなかった。ハンサムな医師ピエール・シュヴァリエはオルレアンの伝統ある名家の出身。かたや助産婦のイヴォンヌ・ルソーは小作農の娘だ。見るからに貧相で、
「あんな女のどこがいいんだ」
「他にもっと良縁があるだろうに」
 1939年12月某日に執り行われた結婚式には、シュヴァリエ家からの出席者はひとりもいなかったというから酷い話だ。

 折しも第二次世界大戦の戦火が吹き荒れていた。ピエールも出征し、やがて英雄として帰還した。レジスタンス軍を率いてオルレアンからナチスドイツを追いやったことが賞賛されたのだ。勢い余って市長に就任。かくしてピエールは国政への道を歩み始める。
 2年後、ピエールは国民議会の議員に選ばれていた。活動の舞台は自ずとパリの社交界が中心となる。イヴォンヌも精一杯背を伸ばしてお供するも、貧しい出自ゆえにただただアタフタするばかり。芸術にも文学にも素養のない彼女は話題について行けなかった。挙げ句は書評を丸憶えして、判りもしないくせに人前で披露して恥をかく。
「お前はもう来なくていいよ!」
 ピエールが愛想を尽かすのも宜なるかな。イヴォンヌは2人の息子と共にオルレアンに引き蘢る。



ジャンヌ・ペローと夫のレオン

 さて、ここでもう1人の女が登場する。ジャンヌ・ペローはイヴォンヌとは対照的な女だった。情熱的な赤毛の持ち主で社交的、何よりも威厳に満ちていた。左の写真を見比べて頂きたい。まったく別の生き物のように感じられる。2人に共通していたのは、女であること。既婚者であること。母であること。そして、ピエール・シュヴァリエを愛していたこと。この4点のみである。
 そうなのだ。このジャンヌという女は4児の母であるにも拘らず、公然と不倫を働いていたのである。夫で実業家のレオン・ペローも見て見ぬふりをしていたという。イヴォンヌとは器が違う。住む世界が違う。実際にまったく別の生き物だったのだ。

 ピエール・シュヴァリエがジャンヌと関係を持ったのは1950年のことである。しかし、オルレアンに引き蘢っていたイヴォンヌはそのことに1年近くも気づかなかった。遂に知るところとなったのは1951年6月13日。夫の背広のポケットからこんな走り書きを見つけたのだ。
「愛しています。私はあなたのもの」
 私だってあなたのものなのに!
 イヴォンヌは直ちにピエールに詰め寄るが、まるで相手にされなかった。4日後に迫る選挙に忙しくて、それどころではなかったのだ。やがて大差で再選を果たしたピエールは、祝賀会からイヴォンヌを閉め出した。そりゃそうだろう。支持者の前でギャーギャー騒がれては堪らない。
 数日後、再び詰め寄るイヴォンヌにピエールは云い放つ。
「お前とは別れて、人生を楽しむつもりだ」
 イヴォンヌは涙ながらに翻意を促すも、ピエールの決意は固かった。
「お前も良い人を見つけなさい。もう自由なのだから」

 イヴォンヌは現実を受け止めることが出来なかった。なんとしても2人を別れさせようと、レオン・ペローに協力を願い出た。
「あなたからも別れるように説得して下さい。あなたが何もしないなら、私は彼を殺すか、あるいは自殺します」
 ところが、腑抜けの夫は糠に釘で、
「それは無理ですよ。あのふたりは愛し合っているのですから」
 愕然としたイヴォンヌは、何かの決意を固めたかのように拳銃を買い求めたのだった。

 一方、ピエールはというと、家庭での不和にも拘らず、出世街道をひた走っていた。42歳の若さにして教育・スポーツ担当の国務大臣に抜擢されたのである。8月11日土曜日のことである。彼は自宅に電話をかける。
「知らせは聞いたか? ああ、大臣に任命されたんだ。明朝、衣類やらなんやらを取りに帰る。これからはいちいち帰っていられなくなるからな」
 イヴォンヌは直感した。
「この人はもう二度と帰って来ないつもりだわ…」

 翌8月12日午前9時15分、ピエールはオルレアンの自宅に到着した。午後の予定がぎっしりと詰まっている。お付きの運転手を外に待たせて、2階の寝室で入り用の品々を整理し始めた。そこにイヴォンヌが泣きじゃくりながら縋りつく。
「どうか私を捨てないで下さい。捨てられたら自殺します」
 ところがピエールは屁の河童で、
「ああ、そうするのが一番だ」
 酷い男である。彼女もそう思ったことだろう。
「あなた、嘘だと思ってるのね。ほら、こうして拳銃も持っているんだから」
「判った判った。頼むから自殺してくれ。但し、俺が出て行ってからにしてくれよな」
 次の瞬間、4発の銃声が鳴り響いた。これを耳にした息子のマシューが駆けつける。
「ママ、いまの音はなあに?」
「何でもないのよ」
 マシューを階下の小間使いに預けると取って返し、既に息絶えている良人にもう1発お見舞いする。悔しさ故だろうか? それとも憎さ故だろうか? いずれにしても、我に返った彼女は傍らの電話機に手を伸ばすと、自ら警察に通報したのである。

 当初は暗殺者さながらに糾弾されたイヴォンヌだったが、ピエールの私生活が暴かれるにつれて、非難は同情へと変わっていった。やがて世間の関心は不倫相手のジャンヌと腑抜けの夫に集中する。
「いったい何なんだ、あの夫婦は? 妻の不貞を認めるなんて」
 しかし、ジャンヌは最後まで悪びれなかった。
「私はピエールを愛していましたし、彼も私を愛していました」
 法廷でも堂々と故人への愛を主張する彼女を弁護人が窘める。
「そのような態度は恥じ入るべきだとは思いませんか?」
「いいえ。愛は人を恥じ入らせるものではありません。私は、愛のために人が罰せられることはないと信じています」
 これには判事もびっくり仰天、彼女は退廷を命じられたのだった。

 結局、検察側の求刑は禁固2年に留まり、陪審員はわずか40分の審議で無罪を評決。しかし、世間は彼女を許しても、彼女は己れを許せなかったのだろう。釈放後、流刑地であるギアナに渡ると、そこで貧民のために助産婦として尽くしたと伝えられている。

(2008年8月25日/岸田裁月) 


参考文献

『世界殺人者名鑑』タイムライフ編(同朋舎出版)
週刊マーダー・ケースブック37(ディアゴスティーニ)


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