エロール事件
The Erroll Case (イギリス・ケニア)



ヘンリー・ブロートン


ダイアナ・コールドウェル


ジョスリン・ヘイ(エロール伯爵)

 ヘンリー・ブロートンは極めて退屈な男だった。競馬とブリッジ以外に興味がなく、妻ベラとの関係も冷えきっていた。ところが、そんな退屈な男が久しぶりに心躍らされる。
 ダイアナ・コールドウェル
 なんと見目麗しいのだ。
 ベラから三行半を突きつけられると、ブロートンは年甲斐もなく、35歳も若いダイアナに熱烈に求婚。彼女に「うん」と云わせたのはブロートンの魅力でも何でもない。以下のような奇妙な契約だった。

「ダイアナがブロートンより若い男と恋に落ちたら、彼は離婚に応じ、その後7年間は彼女に年間5千ポンドを贈与する」

 無茶苦茶な契約だが、それほどにブロートンは彼女に首ったけになっていたということなのだろう。しかし、この契約はハナから履行されることが予定されていなかった。実はブロートンは遺産の大半を競馬とブリッジに蕩尽しており、年間5千ポンドも贈与できる立場にはなかったのだ。もちろん、そんなことはダイアナは知らない。かくしてハネムーンに旅立った2人は、南アフリカで籍を入れ、ブロートンがコーヒー農園を持つケニアに落ち着いた。1940年10月のことである。


 当時の英国領ケニアは、戦時下の祖国から逃げ出した道楽者の英国人で溢れていた。彼らは連日のように酒宴に明け暮れ、戦争など何処吹く風の享楽的な日々を送っていたのだ。中でも特に悪名を馳せていたのが第22代エロール伯爵、ジョスリン・ヘイだ。17歳の時にイートン校から退学処分を受けて、金持ちの女と駆け落ちしてケニアに流れ着いたこの男は、知人の妻を誘惑することに何よりの悦びを覚える「好色貴族」だった。

 ケニアにやって来たブロートン夫妻は、農園に落ち着く前に「ムタイガ・カントリー・クラブ」に滞在し、地元の社交界を満喫した。ブロートンは若くて美しい新妻を自慢したくて堪らない。方々に見せびらかして歩いたが、これが間違いの元だった。「好色貴族」のターゲットに選ばれてしまったのである。

 それは11月30日、ブロートンが一人で農園の様子を見に出掛けた日のことだった。「ムタイガ・カントリー・クラブ」では舞踏会が催された。もちろん、ダイアナも出席する。そして「好色貴族」の誘いにあっさりと陥落してしまうのである。
「クラブ」に戻ったブロートンは愕然とした。

「私、この人と恋に落ちました。約束通りに離婚して下さい」
「ああ? あっ、ああ。そういうことかい…」
「つきましては、年間5千ポンドの件もお忘れなく」

 どこまで図々しい女だとブロートンは思ったことだろう。しかし、約束したのは己れである。自業自得と云わざるを得ない。それに、5千ポンドの件に興味を抱いたのはダイアナではなく「好色貴族」エロール伯爵の方だった。実は彼は財産を使い果たし、ほとんどオケラだったのだ。

 ブロートンは打ち拉がれたが、表面上は必死で平静を装い、翌1941年1月23日には「お別れパーティー」を主催した。2人の幸せな門出を願って乾杯し、「早く23代目が出来るといいね」などとおべんちゃらを述べたというから泣けてくる。
 午後10時30分、ダイアナとエロール伯爵は会場を後にし、ダンス・ホールに出掛けた。その際にブロートンは「ダイアナを午前3時までに農園の自宅に帰してくれ」と頼んでいる。
 まだ妻なのにな。
 そして、午前2時30分、ダイアナはエロール伯爵に送られて帰宅した。伯爵の遺体が発見されたのは、その30分後のことだった。


 1941年1月24日午前3時、雨が降る中をトラックを運転していた2人の黒人が、片側が溝に脱輪したビュイックを発見した。ヘッドライトは点いたままだ。事故でも起こしたのだろうか? 近づいて中を覗くと、白人の男が運転席でぐったりしていた。顔中血みどろだ。息をしていないようだった。

 夜が明ける頃には現場は警官と野次馬でごった返していた。午前8時に出勤途中の検視官ジェフリー・ティムズが現場に通りかかった。おそらく事故だろう。彼は遺体を車から出すように指示した。しかし、右足がアクセルに引っ掛かっているためになかなか出せない。どうにか苦労して引っ張り出して、顔を一瞥するなり仰天した。
「エロール伯爵じゃないか!」
 そして、遺体をモルグに運んで、顔を洗浄してから初めて気づいた。左耳のすぐ下に弾創が認められたのだ。これは事故なんかじゃない。殺人事件だ。

 真っ先に疑われたのがブロートンだった。当然である。妻を寝取られたばかりなのだから。
 彼に不利な証言が続々と警察に舞い込んだ。例えば、事件のあった早朝にブロートンがたき火をしていた云々。ブロートンは数日前から農園で射撃の練習をしていた云々。その銃はエロール伯爵の頭の中から取り出された銃弾と同じ32口径だった云々。
 実は事件の3日前、ブロートンは警察に「自宅からコルトのリボルバーが2丁盗まれた」との盗難届を出していた。そのコルトこそ彼が射撃を練習していた32口径の銃だった。誰がどう考えても怪しい。担当のアーサー・ポピー警視はブロートンがエロール伯爵を殺害したのだと確信した。

「ブロートンは、エロール伯爵がダイアナに別れを告げている隙に家からこっそりと抜け出して、伯爵の車の後部座席に隠れた。そして、車が3kmほど走り、人気がなくなったところで射殺した。その後、ブロートンは急いで自宅に戻り、午前3時30分に、自宅に泊まっていたジューン・カーベリーの部屋におやすみの挨拶をしに行くことでアリバイを作った」

 ポピー警視の推理は最後の部分が危うい。その晩、ブロートンは午前2時と午前3時30分の2回に渡ってジューン・カーベリーの部屋に挨拶に出向いている。その1時間半の間にエロール伯爵を殺害することは十分に可能だったとするのが彼の推理の根幹だが、もうすぐ60歳になろうとするブロートンが雨の中の3kmを30分足らずで戻れただろうか? 徒歩ならば1時間近くかかる距離である。
 ブロートンの弁護を担当した南アフリカの辣腕弁護士ハリー・モリスもその点を指摘した。その上で彼は、弾道検査を証拠として取り上げた。ブロートンが射撃練習をしていた銃では左巻きの施条溝が6本できる。しかし、エロール伯爵から取り出された弾丸の施条溝は右巻きの5本である。同じ銃から発射されたものではありえない。

 かくしてヘンリー・ブロートンは無罪放免となった。
 しかし、それは訴訟のやり方がまずかったからで、おそらく彼は有罪なのだろう。事実、ジューン・カーベリーの娘、ジャニタは事件の翌日にブロートンから犯行を告白されたことを1979年になって打ち明けている。犯行当時、彼女はまだ15歳だった。
「告白を聞いた後では、彼を守らなければならないと思うようになりました」
 それほどに不憫な境遇だったということである。ブロートンは1000ポンドで「デレク」という男を雇うことで、憎き「好色貴族」を退治したのだ。


 無罪放免となったブロートンのその後の人生は散々だった。ダイアナには捨てられて、翌1942年9月に英国に戻るや否や、4年前の保険金詐欺の容疑で逮捕された。証拠不十分で釈放されたものの、彼が詐欺に手を出していたことは間違いない。それほどに彼の財政は逼迫していた。何が「年間5千ポンドを贈与」だよ。そんな金を払える余裕などとうになかったのだ。やがて、先妻との間に出来た長男の相続財産も使い込んでいたことが発覚し、その係争中に鬱病を患う。そして12月2日、致死量のメディナールを服用して死亡。本当にどうしようもない人生だった。

(2007年11月28日/岸田裁月)


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『殺人の迷宮』コリン・ウィルソン著(青弓社)
マーダー・ケースブック37(ディアゴスティーニ)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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