ポール&トム・ファーガソン
Paul & Tom Ferguson (アメリカ)



若き日のラモン・ノヴァロ

 ラモン・ノヴァロと云われても我々にはピンと来ない。それもその筈、トーキーの到来と共に引退した往年の映画スタアなのだから、知っている方がおかしいというものだ。ドタバタ喜劇以外の無声映画は今日ではほとんど観る機会がない。
 あのルドルフ・ヴァレンチノと人気を二分したというから大スタアである。代表作は『ベン・ハー』(1925)やグレタ・ガルボと共演した『マタ・ハリ』(1931)。この『マタ・ハリ』でトーキーに違和感を感じたノヴァロはさっさと引退、不動産業に転じた。誠に賢い選択である。トーキーのおかげで時代遅れとなり、没落したスタアは山ほどいる。

 そんな彼が殺害されたのは1968年10月30日のことである。翌朝、秘書のエドワード・ウェーバーがロス郊外にある彼の屋敷を訪れたところ、中はさながら嵐の後。テーブルはひっくり返るわ、壁からは絵画が引っ剥がされるわでエラい有り様だ。雇い主の名前を呼べども返事がない。恐る恐る寝室を覗くと、案の定というべきか、ノヴァロがベッドの脇で倒れていた。当年69歳の彼は全裸で血みどろ。しかも、喉にはアールデコ調のブロンズの張り形が押し込まれていた。死因はそのための窒息である…というのは俗説で、その張り形はかつての恋人、ルドルフ・ヴァレンチノから贈られたものだったというオチがつくのだが、実際には張り形以降はどこぞの誰かの作り話らしい。但し、ノヴァロがゲイだったことは本当である。

 聞き込みからは何の成果も得られなかった警察は、通話記録から手掛かりを得た。事件の晩、シカゴへの長距離電話が屋敷から掛けられていたのだ。相手はブレンダ・リー・メトカーフ。ノヴァロとは縁もゆかりもない20歳の女性である。彼女を尋問した警察はたちまち事件を解決する。かくして、ポール・ファーガソン(22)と弟のトム(17)はラモン・ノヴァロ殺しの容疑で逮捕されたのだ。



ポール・ファーガソンのヌード写真(修正済)

 ポール・ファーガソンは、早い話が男娼である。ヌード写真がいくつも残っている。ノヴァロにちょいちょい買われていたようだ。
 ポールは当初は殺害を認めていたが、やがて前言を翻し、弟のトムに罪を被せた。後に判ったところでは、弟は未成年ゆえ刑に服するとしてもせいぜい6ケ月。だから身代わりになってくれと頼み込んだらしい。ところが、トムも成人として裁かれる旨が決定されると、弟は慌てて自白を撤回。兄貴がやった、いいや弟がやったと互いに罪のなすり合いを始めた。

 ブレンダの証言によれば、電話を掛けてきたのは弟のトムだった。48分にも及んだ電話の内容は大凡このようなものだった。
「今、兄貴とラモン・ノヴァロの家にいるんだ。兄貴によれば、奴はいつも手元に5千ドル置いてるって話だ。だから、そいつを探してるんだ。壁にかかった絵の裏が怪しいってんで、みんな引っ剥がしたけど見つからねえ。兄貴は金の在処を吐かせるために、今、奴を小突いているところさ」
 ブレンダは云った。
「手荒な真似はしないでね」
 トムは答えた。
「そんなことはしないよ。それに奴を小突いているのは兄貴だ。俺じゃないからね」
 しかし、トムが受話器を置いて煙草を取りに行った時、凄まじい悲鳴が聞こえてきた。戻って来たトムに彼女は訊ねた。
「今の悲鳴は何?」
 トムは答えた。
「いや、あの老いぼれがなかなか口を割らないんでね、兄貴が手を焼いているんだよ。兄貴がノシちまわないように注意しなきゃ…今、どんな様子か確かめてくるね」
 またしても凄まじい悲鳴が響き渡った。まさに殺人の実況中継である。ブレンダの印象では、兄弟は同罪だった。

 結局、ポールとトムのファーガソン兄弟は共に有罪となり、終身刑を宣告された。彼らが殺しの代償として得た金は、5千ドルどころか10ドルにも満たなかった。つまり、往年の大スタア、ラモン・ノヴァロはガセネタに殺されたのだ。

(2008年12月9日/岸田裁月) 


参考文献

『運命の殺人者たち』J・R・ナッシュ著(中央アート出版社)


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