ハリー・ヘバード
Harry Hebard (アメリカ)


 ハリー・ヘバードの親父は、こと女に関しては飽き性だった。その事が生んだ悲劇のように思えてならない。
 ハリーの両親は彼がまだ幼い頃に離婚した。当初は母親に引き取られたが、9歳の時に父親のジャックが3度目の結婚。これを機に父親の家庭に引き取られる。このことがそもそもの間違いの元だった。
 ジャックはまもなく離婚して、すぐさま4度目の結婚を果たす。まったく呆れた親父だぜ。相手のジョイスには息子1人と双子の娘の連れ子がいた。一家はたちまち大家族になってしまう。ハリーの居心地が悪かったことは想像に難くない。

 ウィスコンシン州グリーンベイに移り住んだ一家は、当初はどうにかうまくやっていた。ところが、ハリーが17歳になった頃からぎくしゃくし始めた。彼がグレ出したのだ。学校では揉め事を起こす。家に帰れば継母との口論が絶えなかった。

 1963年2月18日、ハリーは友人に「いつか家出するつもりなんだ」と告げた後、学校から早退けする。帰宅した彼を待っていたのは継母のガミガミ攻撃だった。
「なんで早退けなんかするの!」
「うるせえなあ!」
「お父さんに云うからね! 今夜の食事は抜きよ!」
 カチンときた。
 この時、ハリーの心の中の何かが切れた。
 22口径の拳銃を手にした彼は、まずカウチで寝っ転がる父親の頭に目掛けて一発。その後、台所で後片づけする双子の義妹、11歳のジャニスジョイス、そして15歳の義弟、ジョンを片づけた。最後に憎き継母を始末して、いつかするつもりだった家出を決行。しかし、実際は友人宅に転がり込んだだけだった。

 家宅捜索した警察は、ハリーの「家出計画書」を発見。その潜伏先もしっかり書き込まれていたために、翌日にもお縄になったのだから、グレてはいてもやっぱり子供だ。やることが幼稚である。
 当初は精神異常と診断されて施設に送られたハリーだったが、1967年に「やっぱり正常」とのお墨付きを得た上で裁かれて、終身刑を云い渡された。当然と云えば当然だが、親父の罪も重いと思う。

(2008年10月24日/岸田裁月) 


参考文献

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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