ドクター・ジョージ・ラムソン
Dr. George Henry Lamson (イギリス)



ラムソン医師の裁判

 医師ジョージ・ラムソンの義父は遺言で、5人の子供に財産を分配し、それぞれが成人したら受け取れるようにして世を去った。ラムソンは嫁が受け取った金を元手にボーンマスで開業医を始めた。ところが、自らのモルヒネ中毒が災いして商売はさっぱりだ。そんな折り、嫁の弟が急死して、棚からぼた餅の相続財産が転がり込む。というのも、件の財産はその子が成人前に死亡すれば残りの者で分配されることになっていたのだ。
 やがて棚ぼた財産も蕩尽し、医療器具一式を質入れするほどに落ちぶれたラムソンは切羽詰まっていた。そこで再度の棚ぼたを企てる。嫁にはもう1人未成年の弟がいる。両足が麻痺したパーシー・ジョンソン(18)だ。ラムソンは彼に死んでもらうことにした。これも姉さんのためだよ、悪く思うな。

 1881年12月3日、パーシーが寄宿しているウィンブルドンのブレンハイムハウス・スクールに出向いたラムソンは、校長とその妻、そしてパーシーを交えて軽食を摂った。持参したケーキを自ら切り分けると皆にふるまい、しばし談笑した後にゼラチン製のカプセルを取り出し、
「これを用いると苦い薬も楽に飲めるんですよ」
 カプセルの中に卓上の砂糖を入れると、パーシーと校長に手渡して、
「試しに飲んでみなさい」
 翌日、パーシーは急死した。
 誰が考えても怪しいのはラムソンだ。やがて彼が11月24日にトリカブトを購入していたことが判明。直ちに逮捕された。

 裁判の争点は「どうやって毒を盛ったか?」だ。砂糖入りのカプセルは校長も飲んでいる。だから、これは毒ではない。おそらく、ケーキの一部に毒を混入し、パーシーだけが毒入りになるように切り分けたのだろう。それをカムフラージュするための「カプセル」の小芝居だったわけだが、そうは問屋が卸さなかった。ジョージ・ラムソンは死刑に処された。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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