エドワード・レオンスキ
Edward Leonski
a.k.a. The Singing Strangler (オーストラリア)



エドワード・レオンスキ

 笑ってるねえ、人殺しなのに。

 第二次大戦中の1942年5月、メルボルン市内で矢継ぎ早に3人の女性が殺害された。

 5月 3日 アイヴィー・マクラウド(40)
 5月 9日 ポーリン・トンプソン(31)
 5月18日 グラディス・ホスキング(40)

 いずれも絞殺である。物盗りでもなければ、強姦目的でもない。ただ単に彼女たちは殺されたのだ。
 当然のことながら、戦時下のメルボルン市民は震え上がった。「メルボルンの切り裂きジャック現る」なる見出しが新聞各紙の一面を飾った。

 グラディス・ホスキングが殺害された5月18日の晩、1人の米兵が米軍駐屯地の衛兵に誰何されていた。頭髪は乱れ、息を切らしたその米兵の軍服は泥まみれ。「そのざまはなんだ?」と問われて、彼はこのように釈明した。
「いささか飲み過ぎて、公園で転んでしまいました」
「これからは気をつけろよ」と窘めて、衛兵は通行を許可した。

 翌日、グラディス・ホスキングの殺害を知った衛兵は、昨夜の一件を警察に届け出た。刑事たちには思い当たる節があった。数日前、或る女性から「米兵に首を絞められそうになった」との届け出を受けていたのだ。彼女は気丈にも「警察を呼ぶわよ!」と怒鳴りつけると、米兵は怯んで引き下がったという。
 早速、問題の米軍駐屯地に出向き、部隊全員を整列させて首実検を行ったところ、衛兵が指差したのがエドワード・レオンスキだった。
 彼はこんなことを同僚に打ち明けていたという。
「俺はジキルとハイドなんだ。人を殺っちまった」
 逮捕は時間の問題だったのだ。

 レオンスキは饒舌に犯行を自供した。そして、女性の声への歪んだ愛情を動機として明かした。
「だから、俺は彼女たちの首を絞めたんだ。その声を奪うためにね」
(That's why I choked those ladies. It was to get their voices.)
 ポーリン・トンプソンを自宅まで送り届けようとしていた時、彼女は不意に歌い出したという。
「彼女の歌声は甘く、優しかった。それを耳にしながら、次第におかしくなっていく自分を感じていた」

 マスコミから「シンギング・ストラングラー」と命名されたレオンスキは、精神異常を理由に無罪を主張したが認められず、1942年11月9日に絞首刑に処された。刑の執行を待つ間、レオンスキは小声で歌っていたと伝えられている。

(2007年11月30日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)


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