ジェシー・マクラクラン
Jessie MacLachlan (イギリス)



ジェシー・マクラクラン


ジェイムス・フレミング

 ジェシー・マクラクラン(28)はおそらく無実である。彼女には動機がないからだ。当時の人々も真犯人はジェイムス・フレミングだと確信していたようだ。

 グラスゴーの公認会計士ジョン・フレミングは、毎週末は海岸の別荘で過ごすため、自宅は父親のジェイムス・フレミングと女中のジェシー・マクファーソン(25)の2人に任せていた。
 1862年7月7日、別荘から帰宅したジョンは女中がいないことに気づいた。
「お父さん、マクファーソンさんは何処?」
「それが金曜日の夕方から姿が見えないんだよ」
 女中部屋には鍵がかかっている。合鍵で開けるとうひゃあ。血まみれのシーツに包まった半裸の遺体に出くわしたで吃驚仰天。マクファーソンは鈍器で頭を殴られており、床には血染めの足跡が残されていた。

 マクファーソンの装飾品や衣服、加えて屋敷の銀食器が紛失していることから強盗の仕業かに思われた。ところが、地下室から血が付着した父親のシャツが発見されて、ジェイムス・フレミングが容疑者として逮捕された。
 2日後、近所の質屋が出頭し、フレミング家から盗まれた銀食器を預かっている旨を届け出た。これを質入れしたのがジェシー・マクラクランに他ならない。現場に残されていた足跡もマクラクランのものと証明された。かくして事件の流れは変わった。

 逮捕されたマクラクランは質入れの事実は認めたが、ジェイムス・フレミングに頼まれたのだと弁明した。
 マクラクランはかつてのフレミング家の女中で、殺されたマクファーソンとは親友だった。彼女はその日の出来事をこのように供述した。

「金曜日の夜、私がマクファーソンさんの部屋を訪ねると、彼女はベッドの上で血を流して倒れていました。訳を訊くと、虫の息でフレミングさんにやられたと云うのです。手籠めにされそうになったと。それを拒絶したので、カッとなったフレミングさんに殴られたのです。フレミングさんはとても後悔しているようで、金を出すから黙っていてくれと頼まれました。私も哀れに思い、強盗の仕業に見せ掛けるために協力してしまいました」

 この供述は筋が通っている。フレミングの老いてなお盛んな女癖の悪さも法廷で証言された。にも拘わらず、判事は老人の名誉を守ることに終始し、陪審員は有罪を評決。マクラクランは死刑を宣告された。
 多くの人々がこの結末を疑問視した。上流階級であるフレミング家の名誉を守るためにマクラクランに罪をなすりつけたと感じたのだ。しかし、控訴審でも有罪は揺るがず、終身刑に減刑されるに留まる。15年後に釈放された彼女はアメリカに渡り、1899年に他界したと伝えられている。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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