シェフ・ライク
Sjef Rijke (オランダ)


 

 オランダの商業都市ユトレヒトに暮らすシェフ・ライクは誠に不運な男だった。18歳の婚約者ウィリー・マースが突然の胃の痛みに襲われて、僅か1週間で急逝してしまったからだ。当館の御常連ならば砒素等による毒殺の可能性を真っ先に疑うところだが、世間は割と「ははノンキだね〜」。食中毒ということで片付けられた。1971年1月のことである。

 葬儀におけるライクの落胆ぶりたるや、それはそれは凄まじいものだったという。しかし、悲嘆に明け暮れる日々はそう長くは続かなかった。すぐさまミエンテ・マンダースという18歳の娘と婚約したからである。
 モテモテだなあ。
 ところが、3月も終わりになる頃には彼女も胃の痛みに襲われて、あれよあれよという間に逝ってしまう。4月2日のことである。「なんかちょっとおかしいぞ」と誰もが思い始めたが、ライクには彼女を殺す動機が全くなかった。

 葬儀におけるライクの悲嘆ぶりたるや、それはそれは凄まじいものだったという。しかし、悲嘆に明け暮れる日々はそう長くは続かなかった。すぐさまマリア・ハースという18歳の娘と婚約したからである。
 ますますモテモテだなあ。
 そして、ミエンテの死後3週間もしないうちに結婚式を挙げたわけだが、6週間後にはスピード離婚。夫の嫉妬深さに耐えられなかったようだ。彼女もまた胃の痛みを訴えていたが、別れたおかげで死ぬことはなかった。

 懲りることのないこの男は、すぐさま若い女と同棲を始めた。この女もまた胃の痛みに襲われたためにようやく警察が動き、ピーナッツバターの中から猫いらずを検出したのである。
 ライクに動機がないのも道理だった。彼は女が身悶える様を眺めることを何よりも好むサディストだったのだ。殺す気はなかったと弁明したが、毎日猫いらず喰わせていたら死ぬわいな。2件の殺人と2件の殺人未遂で有罪となり、終身刑を云い渡された。

(2009年1月5日/岸田裁月) 


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)


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