アルマン・ロアール
Armand Rohart (フランス)



アルマン・ロアール

 1967年5月23日深夜、カレー近郊エスカイエの町長はプゥーと鳴り続ける車のクラクションに起された。なんだなんだと出てみると、男がハンドルに突っ伏している。気絶しているようだ。直ちに救急車が呼ばれたが、その顔を見て驚いた。隣町プーランジュの町長、アルマン・ロアールだったのだ。
 彼はプーランジュの大地主でもあった。共に農場経営に携わる弟のジュールは、警察に対してこう述べた。
「兄は今日の午後、妻のジャクリーヌと連れ立って浜辺に泳ぎに出掛けたが、それっきり帰って来ない」
 浜辺を捜索した結果、ジャクリーヌ(45)の遺体が見つかった。一方、意識を取り戻したロアールは、事のあらましをこのように語った。

「私と妻は手を繋いで首の深さまで海に入ったんだ。すると突然、大きな波に襲われた。2人とも泳げない。私はもがきながらどうにか岸に辿り着き、そこで意識を失った。暗くなって意識が戻ると、妻の姿は何処にもなかった」

 まだ5月だというのに、どうして中年の夫婦が、しかも手を繋いで海に入らなければならないのか? この点、ロアールは素直に語った。

「実は数年前、子守りのオディーユ・ウィソックという14歳の娘と深い関係になってしまった。やがて彼女が妊娠したので実家に帰した。それ以来、妻にはこの過ちを一刻も早く忘れてもらおうとあれこれ努めてきた。2人で浜辺に行ったのは、私たちの馴れ初めがこの季節のあの場所だったからだ」

 一応、筋は通っている。しかし、検視解剖の結果はこれを否定するものだった。ジャクリーヌの死因は窒息だが、溺死ではない。肺にまったく水が入っていなかったのである。

 ロアールの身辺を洗った警察は、オディーユとの関係はなおも続いていることを突き止めた。妻殺しの動機は見えた。しかし、まだ立件するだけの証拠がない。と、そこに朗報が舞い込む。6月14日、ジャコブ・ケルバエという元軍人が出頭し、ロアールに殺しを依頼されていたことを告白したのだ。ロアールを信用していなかった彼は、身を守るために会話を録音していた。

「クラーレという、南米の原住民が使う毒がある。これを針に塗って妻の座席に埋め込む。彼女が座ると針が刺さる。車は何かに激突し、妻は首の骨を折って死ぬ…と、こんな手筈ではどうだろう?」

 この録音テープが決定的な証拠となり、ロアールは逮捕された。

 この他にも警察はいくつもの証拠を探り当てた。
 事件の前夜、ジャクリーヌは美容院に行き、流行の髪型にセットしてもらっていた。もし彼女がかなりの時間に渡って海に浸かっていたならば、定着液は洗い流されている筈だ。だが、遺体の髪には定着液が残っていた。
 また、彼女の血液からは大量のアルコールが検出された。普段の彼女は一滴も飲まない。
 更に、事件から2週間後、2つの瓶が浜に打ち上げられていた。1つには睡眠薬、もう1つにはエーテルが入っていた。以上から推理される犯行の手口は以下の通り。
 ロマンチックなムードで浜辺に誘い、妻に酒を飲ませたロアールは、エーテルを嗅がせて酩酊させた。ところが、妻は意識を取り戻して抵抗した。ロアールの胸には引っ掻き傷があった。彼はその傷を波に飲まれた時に妻がつけたものと釈明していた。
 妻を殴って気絶させたロアールは、車のクッションで窒息させた。そして、溺死に見せかけるために海に投じた。だいたいこんなところだろう。

 警察は、事件の少し前にロアールが妻に100万フランの生命保険を掛けていたことも突き止めていた。もはや云い逃れは出来ない。有罪となった現職町長は終身刑を宣告された。

(2008年12月11日/岸田裁月) 


参考文献

『犯罪コレクション(上)』コリン・ウィルソン著(青土社)


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