ウィリアム・シェワード
William Sheward (イギリス)


 

 1869年1月1日、ロンドンのウォルウォースにある警察署に一人の男が出頭し、藪から棒にこのように申し立てた。
「18年前に妻を殺しました」
 ナヌ? どーいうこと?
 こーいうことなのだ。この男、ウィリアム・シェワードはイングランド東部のノリッチに住んでいた。呑んべえの仕立て屋だ。当時35歳の彼には19も年の離れた妻がいた。ナヌ? 羨ましいとな? いやいや、勘違いされてはいけないよ、お立ち会い。下ではないよ上なのだ。妻のマーサは54歳の大年増だったのだ。夫婦仲は最悪で、あんた、また呑んできたの! ってやんでえ、江戸っ子が宵越しの銭を持ってられるかい。またそんなこと云って! 今月の家賃はどうすんのよ! 親方に頼んで前借りしてきな! バカ野郎、そんな恥ずかしい真似が出来るかいなどと始終喧嘩が絶えなかったが、或る日のこと、遂に呑んべえの怒りが爆発。気がついたら妻の喉を剃刀で耳から耳まで切り裂いていた。
 あら? やっちまった!

 こうなったらもう腹を括るしかない。しかし、このままでは処分に困る。そこで小分けに捌くことにした。まず首を切り落とし、手足を切り落とし、胴体は二枚に下ろして切り分けた。そして大きな鍋でぐつぐつと煮たわけだが、その臭いたるや凄まじい。ラベンダーの葉も一緒に煮ることで、どうにか臭いを解決した。煮上がった順にちょいちょい捨てて、マーサが跡形もなくなるまでに1週間もかかったというから、人一人始末するのは大変な作業なのだ。

 ほどなくご町内のあちこちから人間の部品が見つかり始めた。当初は医学生のイタズラかと思われていたが、それにしてはその量が尋常じゃない。遂に頭部を除いたすべてのパーツが揃うに至り、こりゃ間違いなくバラバラ殺人事件だぜい。この時にシェワードも尋問されたが、厳しく追求されることはなかった。何故なら、検視官が「被害者は15歳から25歳」と誤った判断を下していたからだ。煮たために身が引き締まったのだろうか?
「あいつならこの間、出て行きましたよ。今ごろはロンドンの実家にいる筈です」
 夫婦仲が悪かったことは長家の誰もが知っていたので、マーサの家出を疑う者はいなかった。

 結局、遺体が誰だか特定されぬままに月日は流れて、事件は迷宮入りした。その後、シェワードは後妻を娶り、2人の子供をもうけるも、どういうわけか18年後に自首した次第。その理由は今一つ定かではない。マーサの亡霊に悩まされ続けてきたことを指摘する者もいる。
 この点、コリン・ウィルソンは著書『犯罪コレクション(下)』において興味深い指摘をしている。なんでもマーサを始末してからしばらくして、彼女が300ポンドの遺産を相続したというのだ。つまり、シェワードはいささか早まってしまったのだ。

「彼はこの相続の『しそこない』について18年間くよくよ思い悩んだ。あの金さえあれば、俺の人生はまったく違っていたはず…。この思いは妄想のように強くなるばかり。ついに彼はこう信じるにいたる。『俺はことさら残酷な運命のいたずらの犠牲者に違いない』。ある日、ロンドンの某警察署へつかつかと歩いて入り、肩からこの運命の重荷をすべて解放した」

 早まった男、ウィリアム・シェワードは同年4月20日に処刑された。マーサの頭部は今日に至るまで行方不明のままである。

(2007年3月27日/岸田裁月) 


参考文献

『犯罪コレクション(下)』コリン・ウィルソン著(青土社)


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