スウィフト・ランナー
Swift Runner
a.k.a. Katist-chen (カナダ)



スウィフト・ランナー

 1879年3月、アルバータ州の州都エドモントンにほど近いセント・アルバート。ここのカトリック教会に一人のネイティブ・アメリカンが助けを求めて転がり込んだ。クリー族出身のこの男の名前はスウィフト・ランナー。本名カーティスト=チェンの直訳である。彼は神父にこのように語った。

「私たちの家族は狩りに出掛けました。妻と6人の子供たち、そして母親と弟の〆て10人です。しかし、狩りは思うように行かず、やがて食料がなくなりました。
 最初に死んだのは下の子供でした。母親と弟は食料を探しに出掛けたっきり帰って来ません。子供たちが一人づつ死んで行く中で、妻は悲しみのあまりに銃で自殺しました。そして、私だけがどうにか冬を持ちこたえ、こうして助けを求めた次第です」

 しかし、神父は懐疑的だった。というのも、彼は遭難していた割には健康的に見えたからだ。肌の色つやもよく、幾分肥えてさえいる。連行された警察でも同じ話を繰り返すばかりだが、その供述は曖昧で、不自然な点が多い。そこで現地に赴き、真実か否かを確かめることにした。
 その道中でスウィフト・ランナーは2度も逃走を企て、違う場所に誘導する等、どうしても現地に行かせたくないようだった。そうこうして、ようやく現地に辿り着いて仰天した。辺りには数多の骨片や頭蓋骨、肉切れが散乱していたのだ。湯沸かしの中を覗くと、何かドロっとした煮凝りが残っている。鑑定の結果、人間の脂肪であることが判明した。つまり、こいつは家族をみんな食べちゃったのだ。
 神父には「獣の革のテントを刻んで茹でて、それを噛むことで家族は飢えを凌いでいた」などと語っていたにも拘らず、テントはそっくりそのまま残っていた。

 かくして家族を食べちゃった容疑で裁かれたスウィフト・ランナーは、ウェンディゴとかいう魔物に取り憑かれて犯行に及んだと弁明したが、そんな戯れ言が通る筈もなく、死刑を宣告されて、1879年12月20日に絞首刑に処された。
 法廷では「母親と弟は食べていない」と主張していたスウィフトだったが、死刑を待つ間にやっぱり食べちゃったことを告白したという。如何にも食いしん坊である。

(2009年1月23日/岸田裁月) 


参考文献

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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