コーネリアス・ヴァン・ヘルデン
Cornelius van Heerden (南アフリカ)


 南アフリカ中央部オレンジフリー州(現在のフリーステイト州)の都市ベツレヘムに暮らす22歳の鉄道員、コーネリアス・ヴァン・ヘルデンはテンパっていた。既に父親から金を盗んだかどで有罪判決を下されていた彼は、不注意運転で裁判所に出頭を命じられるわ、無断欠勤を理由にクビにされるわでニッチもサッチもどうにもブルドッグ。ここらで一つ死んでやろうと思い立つも、ただ死ぬだけではつまらない。有り金をはたいてライフルの弾50発を購入すると、友人にこのように告げた。
「死ぬ前に黒人を撃ちたい。そうでもしなきゃ俺の魂は浮かばれない」
 1931年11月26日のことである。

 その日の昼頃にJ・E・ダービーが運転する車をヒッチハイクしたコーネリアスは、その頭を撃ち抜いてこれを殺害。遺体を後部座席に押しやると、運転席に乗り込み、街の中心部へと向かった。道中で6人の黒人(1人は少女)に発砲し、それぞれに重傷を負わせた。
 次に標的になったのは退役軍人のA・M・プリンスルーだった。地元の名士たる彼は、植林を監督しているところを撃たれて死亡。黒人の人足2人も重傷を負った。

 やがて川辺に降り立ったコーネリアスは、これでもう満足したのか、銃口を口に入れると、橋の建設作業員が見守る中で引き金を引いた。警察は自宅からこのような遺書を押収している。

「お前らは俺を起訴しようとしているが、その時には俺は死体になっているであろうことをお伝えしなければならない。俺は盗んだ銃で連中を引っ掻き回してやる。地獄に堕ちやがれ」

「連中」と私が訳した部分は「the things」となっている。物扱いだ。もちろん黒人のことを差している。
 おそらく、彼は黒人を見下す一方で、劣等感を抱いていたのではないだろうか。己れのダメさを無意識ながらも理解していたのだ。だからこそ彼は自殺を決意し、怒りの矛先を黒人に向けたのである

(2009年1月28日/岸田裁月) 


参考文献

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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