ジャンヌ・ウェバー (ヴェベール)
Jeanne Weber (フランス)



ジャンヌ・ウェバー

 まるで「腸チフスのメアリー(Typhoid Mary)」のような事件である。この女が行く先々で子供が次々と死んで行くからだ。メアリー・マローンのような無症候性保菌者かと思ったら、何のことはない。彼女自身が絞め殺していたのだ。

 1874年、漁師の娘として生まれたジャンヌ・ウェバー(旧姓ムーリネ)は、まだ十代の頃に仕事を求めてパリに出て、いくつかの家で女中奉公をした後に鉄道員のジャン・ウェバーと結婚する。生活は豊かではなかったが、3人の子供にも恵まれて夫婦仲は円満だった。ところが、うちの2人が相次いで病のために息を引き取り、悲嘆に暮れたジャンヌは次第に酒に溺れていった。

 1905年3月2日、義弟ピエールの嫁は1歳半のジョルジェットをジャンヌに預けて洗濯に出掛けた。洗濯物を籠に入れて長家の洗い場へと向い、いざ洗い始めようとした矢先に、お隣さんのポウシェ夫人が血相を変えて飛んで来た。坊やが発作を起こしたというのだ。慌てて帰宅すると、ジャンヌは必死で人工呼吸を施していた。坊やの顔色は真っ青だ。やがて息を吹き返したので一安心。お医者に連れて行く前に洗い場の洗濯物を取って来ましょうと、義妹が家を開けたその隙に坊やは再び発作を起こし、そのまま二度と息を吹き返さなかった。ポウシェ夫人は首を絞めたような痕を見つけたが、医師の診断は「ひきつけ」だった。

 その僅か9日後の3月11日、ピエールの嫁はまたしてもヨチヨチ歩きのスザンヌをジャンヌに預けた。そして数時間後に帰宅すると、スザンヌは息をしていなかった。驚いて駆けつけたポーシェ夫人は、このたびも首を絞めたような痕を見つけたが、医師の診断は「ひきつけ」だった。

 3月25日に義弟レオンの娘、7ケ月のジェルマンがジャンヌに抱かれながら息を引き取ると、いよいよジャンヌに疑惑の眼が向けられた。ところが、3日後にジャンヌの息子、7歳になるマルセルが「ジフテリア」で急死。唯一の息子を亡くしたことへの同情から疑惑は吹き飛んでしまう。

 確かに当時は衛生状態が悪く、子供の死亡率は高かった。しかし、それにしても尋常じゃない。よその家でもドンドコ死んでいるならともかく、ウェバー家だけで1ケ月の間に4人も死んでいるのだ。一家が暮らすグット=ドールではジャンヌの噂で持ち切りになった。
 そんな矢先の4月11日、今度は義弟シャルルの息子、1歳のモーリスが急死した。母親が買い物に出掛けていた十数分間の出来事だった。子守りをしていたのはまたしてもジャンヌである。疑惑は確信に変わった。義妹は直ちに通報し、「グット=ドールの鬼婆(Ogress of the Goutte d'Or)」ことジャンヌ・ウェバーは遂に逮捕された。

 ところが、物語はここで終わらない。検視に当たったレオン・ソアノ博士は殺人の痕跡を見つけられなかったのだ。証拠なしに裁くことはできない。かくしてジャンヌは無罪放免となった。



マルセル殺害の想像図

 名前を変えたジャンヌはパリを離れてフランス中部のシャンボンという町に移り住んだ。ここでシルヴァン・バヴーゼという男やもめに女中として雇われると、まもなく幼い息子のオーギュストが急死。
「このおばさん、どこかで見た顔だなあ」
 不審に思ったオーギュストの姉が女中の荷物を調べると、中から「グット=ドールの鬼婆」に関する新聞記事の切り抜きがゴソッと出て来て、誰だか判った。
「鬼婆だあ。鬼婆のしわざだあ」
 かくしてジャンヌは再び逮捕されて法廷に立ったわけだが、検視に当たったのはまたしてもレオン・ソアノ博士だった。殺人の痕跡はこのたびも見つけられず、ジャンヌは無罪放免となった。
 もういい加減に終わりにしたい気分だが、物語はまだ終わらない。

 再び名前を変えたジャンヌは、あろうことか小児科病院に雇われた。ここでは現実に患者の首を締めている彼女の姿が目撃されている。ところが、風評を恐れた院長は彼女を解雇するに留めた。この時に告発していれば、マルセルは死ぬことはなかった。

 三たび名前を変えたジャンヌは売春婦に落ちぶれて、ポワロ夫妻が経営する下宿に間借りしていた。やがて彼女は3歳の息子マルセルに興味を示す。
「あたしにもかつてマルセルくらいの子がいたんですよ。でも、病のために死んでしまって…」
「あら、それはお気の毒に」
「今夜、マルセルに添い寝してもよろしいかしら?」
 さあ、当殺人博物館恒例の「しむら〜うしろ〜」コールの時間がやってまいりました。
 3、2、1、はい。
 えっ? なに? しむらではないし、うしろにもいない? ああ、そうだったそうだった。たしかにしむらでもないし、うしろにもいない。これは失礼致しました。
 とにかく、このたびの彼女はマトモではなかった。1908年5月10日、深夜に悲鳴を聞いたポアロ夫妻が駆けつけると、馬乗りになったジャンヌがマルセルの首を絞めていた。舌が飛び出し、血が溢れている。夫妻が止めに入ってもジャンヌは止めようとはしなかった。狂っているとしか思えなかった。

 検視に当たったレオン・ソアノ博士も、このたびは殺人の痕跡を認めざるを得なかった。しかし、これが初犯と断言した。「冤罪を着せられたために発狂した」と云うのだが、果たしてそうだろうか? 己れの検視がいい加減だったのではなかったか?
 その真偽については水掛け論になるので深追いはしないが、明らかに常軌を逸していたジャンヌ・ウェバーは癲狂院に送られて、2年後に自らの首を絞めて自殺した。その両手は喉に食い込み、口からは泡を吹いていたという。

註:「Weber」は「ヴェベール」と表記するのが正しいようだが、我が国では既に「ジャンヌ・ウェバー」で通っているので、ここでも「ウェバー」と表記する

(2007年1月17日/岸田裁月) 


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『世界犯罪者列伝』アラン・モネスティエ著(宝島社)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)
『TRAGEDIES A LA UNE』ALAIN MONESTIRE(ALBIN MITCHEL)


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