リチャード・ビーゲンワルド
Richard Biegenwald (アメリカ)



リチャード・ビーゲンワルド

 1940年8月24日、ニューヨーク州スタテン・アイランドで生まれたリチャード・ビーゲンワルドは、アル中の父親に虐待されて育った。そして、5歳の時に我が家に火を放ち、精神医療施設に収容された。酒を飲み始めたのは8歳の時だ。その頃からギャンブルにも手を染めた。そして、9歳の時に電気ショック療法を受けるために再び精神医療施設に収容された。治療の甲斐がなかったことは云うまでもない。その後も悪事を繰り返し、ちょいちょい警察のお世話になっていた。

 そんなビーゲンワルドが初めて人を殺めたのは18歳の時である。盗んだ車でニュージャージー州ベイヨンに出向き、食料品店に強盗に押し入って、店主のスティーヴン・スラドウスキを殺害したのだ。2日後に逮捕されたビーゲンワルドには終身刑が云い渡された。模範囚として仮釈放されたのは16年後の1974年のことである。

 娑婆に戻ったビーゲンワルドはしばらくは大人しくしていたが、3年後の1977年に強姦の容疑で逮捕された。但し、被害者が犯人を特定できなかったため、このたびは訴追を免れた。
 釈放後、ビーゲンワルドは年下の女性と結婚し、ニュージャージー州アズベリー・パークに移り住む。そして、この地で数々の殺人をやらかすわけだが、しばらくは発覚しなかった。

 1983年1月4日、アンナ・オレシウィッツの遺体がアズベリー・パークの路地裏で発見された。強姦された上、頭を銃で4発撃たれていた。数日後、1人の女性が警察署の駆け込み、犯人はリチャード・ビーゲンワルドであると名指しした。彼女はビーゲンワルドの妻の友人で、犯行後に彼から遺体を見せられたのだという。

 かくして1月22日、ビーゲンワルドは自宅で逮捕された。共に逮捕された囚人仲間のダーラン・フィッツジェラルドは、司法取引に応じてこのように証言した。
「ビーゲンワルドに頼まれて、スタテン・アイランドにある彼の実家の地下室で3つの遺体を埋めるのを手伝いました。いずれも若い女性でした。また、近くの森でウィリアム・ワードというヤクの売人の遺体を埋めるのも手伝いました」
 併せて5件の殺人容疑で起訴されたビーゲンワルドは、有罪となり終身刑を宣告された。2008年3月12日に獄中で死亡。他にも何人か殺害していると思われるが、当人は口を割ることはなかった。

(2011年1月7日/岸田裁月) 


参考資料

http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Biegenwald
http://www.francesfarmersrevenge.com/stuff/serialkillers/biegenwald.htm
http://www.crimezzz.net/serialkillers/B/BIEGENWALD_richard.php


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