ジュディアス・ブエノアノ
Judias "Judy" Buenoano  (アメリカ)



ジュディアス・ブエノアノ

「ブラック・ウィドー」ことジュディアス・ブエノアノは、1943年4月4日にテキサス州クワナの農家にジュディアス・ウェルティーとして生まれた。その幼年時代は決して恵まれたものではなかった。4歳の時に母親が亡くなったのを機に、一家が離散してしまったのだ。2人の兄が養子に出されてしまったのである。父親は間もなく再婚し、ジュディアスと弟のロバートを引き連れてニューメキシコ州ロズウェルに移り住む。それからが地獄の始まりだった。継母に虐待されながら、恰も奴隷のように農作業に従事することを強要されたのだ。当初は彼女も堪えていたが、14歳の時に遂に怒りが爆発する。継母と継兄弟に暴力をもって反撃し、少年院に放り込まれたのである。

 2ケ月後に釈放されたジュディアスは、実家に戻ることを拒み、感化院に入る道を選んだ。その後、アルバカーキのハイスクールに進学し、1959年に卒業後、ロズウェルの病院で看護助手の職を得る。長男のマイケルを生んだのは1961年のことである。父親が誰なのかは判っていない。

 1962年1月、ジュディアスは空軍将校のジェイムス・グッドイヤーと結婚する。マイケルは養子として迎えられ、1966年には次男のジェイムス・ジュニアが、翌年には長女のキンバリーが誕生。1968年には夫の赴任先たるフロリダ州オーランドで保育所の経営を始める。結婚生活は順風満帆かに思われたが、やがて突然の悲劇が家族を襲う。ベトナムでの3ケ月の任務を終えて帰還した夫のジェイムスが、急な腹痛と嘔吐に襲われて、あっけなく死んでしまったのである、1971年9月17日のことである。
 多額の保険金を手に入れたジュディアスは、この時は夫の死への関与を疑われることはなかった。その年の暮れに彼女の自宅が全焼し、9万ドルの保険金を手に入れた時もまた疑われなかった。

 夫の死後、間もなくジュディアスはフロリダ州ペンサコーラ在住のボビー・ジョー・モリスと恋仲となり、1972年には早くも同棲を始める。もちろん子供たちも一緒である。但し、籍は入れなかった。
 1977年にボビーは恰もジュディアスから逃げるかのようにコロラド州トリニダードに移住するが、すぐさま彼女に居所を知られてしまう。ボビーの容態が悪くなったのは、ジュディアスの一家が彼の新居に押し掛けた直後のことだった。急な腹痛と嘔吐に襲われて、直ちに入院したものの原因は判らず、回復することなく1978年1月21日に死亡した。ジュディアスがまたしても多額の保険金を手に入れたことは云うまでもないだろう。

 なお、ボビーは死の床で医師に、故郷のアラバマ州ブルートンで殺人に加担した旨を告白している。おそらく1974年に或るモーテルで、フロリダから来た氏名不詳の男が喉を掻き切られた事件のことを指しているものと思われるが、現場には指紋はなく、故に警察は事件とボビーを結びつけることは出来なかった。もし、この告白が真実であるならば、事件の背景にジュディアスがいたであろうことは想像に難くない。
 ちなみに、ボビーの死後、間もなくジュディアスは「グッドイヤー」という姓を正式に「ブエノアノ」に改名している。スペイン語で「good year」の意味である。ヒスパニック系であった彼女には特別なこだわりがあったのだろう。

 次に犠牲になったのは長男のマイケルだった。たしかに、彼には問題があった。先天的な知的障害があり(施設に入れられていたこともある)、学校で暴れることもしばしばだったのだ。「この子はいらない」と判断されたのだろうか。1979年6月頃から容態が悪化し始め、遂に自力では歩けなくなってしまった。そのために金属製の補強器を脚に付けていたのだが、そのことが却って仇となった。1980年5月13日、ジュディアスと共に出掛けたピクニック先でボートが横転し、マイケルだけがブクブクブクと川底に沈んでしまったのである。このたびもジュディアスは多額の保険金を手に入れて、それを元手にフロリダ州ガルフ・ブリーズで美容院を始めたというからヤんなっちゃう。

 間もなくジュディアスはフロリダ州ペンサコーラ在住のビジネスマン、ジョン・ジェントリーと恋仲となり、1982年の暮れから同棲を始める。彼女がジョンに妊娠を告げたのは1983年6月25日のことだった。
「そいつはめでたい! 早速、シャンパンを買って来なくちゃ!」
 喜び勇んだジョンが車に飛び乗り、エンジンキーを回すと同時に車は爆発した…。いやはや、このたびは随分と派手にやってくれたもんだ。しかも、ジュディアスにとって最悪なことに、ジョンは生き残ってしまった。そして、彼の供述により「ブラック・ウィドー」は遂にお縄となったのである。

 容疑を裏づける証拠は山ほどあった。ジュディアスは実際には妊娠していなかった。彼女がジョンに与えていた「ビタミン剤」からは砒素が検出された。ジョンからも検出された。また、ジュディアスは知人たちに「婚約者の病いが末期であること」を吹聴していた。ジョンに多額の生命保険が掛けられていたことは云わずもがな。ダイナマイトの購入先も特定された。
 疑惑の眼は当然ながら、過去の夫と息子の死にも向けられた。遺体を掘り起こしたところ、いずれからも砒素が検出された。

 かくして死刑を宣告された稀代の毒婦は、1998年3月30日に電気椅子により処刑された。フロリダ州で女性が処刑されるのは1848年以来、150年ぶりのことだった。

(2010年3月7日/岸田裁月) 


参考資料

http://en.wikipedia.org/wiki/Judy_Buenoano
http://www.capitalpunishmentuk.org/judi.html


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