エリック・エドガー・クック
Eric Edgar Cooke
a.k.a. The Night Caller (オーストラリア)



エリック・エドガー・クック

 1931年2月25日、西オーストラリア州の州都パースに生まれたエリック・エドガー・クックは、アル中の父親に殴られて育った。兎唇のために学校でもいじめられた。また、度重なる事故で頭を何度も負傷している。このことの犯行への影響を指摘する者もいる。つまり、頭のネジが外れてしまったのではないかというのだ。
 実際に、彼の犯行は常軌を逸している。少年時代に「聖歌隊に選ばれなかった」という理由だけで教会に火を放ち、少年院に18ケ月ぶち込まれている。今思えば、彼に必要だったのは戒めなどではなく治療だったのである。

 21歳の時に軍隊に入隊するも、放火や侵入窃盗の前科がバレて、僅か3ケ月で追い出される。1年後に19歳のウェイトレスと結婚、トラック運転手を生業とする傍らで7人の子をもうけるが、その間も侵入窃盗や強姦を繰り返していた。
 クックの最初の殺人がいつだったのかは定かではない。おそらく1958年頃と思われる。5年後の1963年に逮捕されるまでに少なくとも22人を襲い、うち8人を殺害している。犠牲者は老若男女を問わずランダムで、方法も銃殺、刺殺、絞殺と様々だった。地元警察はFBIにも協力を求めたが、さぞかしプロファイラー泣かせだったことだろう。

 クックの存在を一躍有名にしたのは、1963年1月に起こった連続襲撃事件である。一晩に5人もの男女が、或る者は停車中の車内で、また或る者は玄関先で銃撃され、うち3人が死亡したのだ。謎の訪問者の脅威に住民たちは震え上がった。パースはそれまでは呑気な土地柄で、玄関に鍵を掛ける習慣は殆どなかった。ところが、この日を境に厳重に戸締まりするようになったというから、その影響の大きさが窺える。

 そんなクックの逮捕はまったくの偶然だった。最後の犠牲者シャーリー・マクロードが殺害された直後、散歩中のカップルが茂みの中で22口径ライフルを発見。警察が現場に張り込み、のこのことライフルを取りに現れたクックを取り押さえたのである。1963年9月1日のことである。

 かくして死刑を云い渡されたクックは、1964年10月26日に処刑されたわけだが、絞首刑を待つまでの間、彼は更に1件の殺人を告白した。1959年に殺害されたジュリアン・マクファーソンの件である。ところが、この件では既にダリル・ビーミッシュという聾唖者が有罪判決を受けて服役中だったために黙殺された。冤罪であることが確定したのは2005年になってからである。つい最近やないかい。

(2009年2月20日/岸田裁月) 


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
http://en.wikipedia.org/wiki/Eric_Edgar_Cooke


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