ウィリアム・ブライアン・クルース
William Bryan Cruse (アメリカ)



ウィリアム・ブライアン・クルース

 子供は元来、無鉄砲な生き物で、危険を顧みずに町内の変人をからかったりする。私も子供の頃、「シムラ」と綽名される新聞配達員をからかっていた。長髪の頃の志村けんにそっくりで、「シムラ〜!」と呼びかけると本気で追い掛けて来る。面白いので、ついついからかってしまうのだ。本気で追い掛けなければ、あんなにからかわれることはなかっただろう。

 ウィリアム・ブライアン・クルース(59)もそんな「町内の変人」の1人だった。元図書館職員のこの男は、退職したのを機にケンタッキー州アーヴィンからフロリダ州パーム・ベイに移り住んだ。2年ほど前のことである。しかし、この土地に馴染めなかったようだ。妻がパーキンソン病を患っていることのストレスもあったのかも知れない。やがて奇行が目立ち始めた。家の前を通りかかる子供たちに罵声を浴びせるようになったのだ。空に向けてライフルを発砲し、近隣住人を威嚇することもあったという。
 1987年4月、クルースは2人の少年に卑猥な言葉を浴びせたかどで警察に尋問された。その際に彼はこのように述べたという。
「近所の連中が、私がホモだという噂を広めているんですよ」
 つまり、被害妄想ゆえの奇行だったのだ。

 こういうおじさんやおばさんは、町内に必ず1人はいる。私の家の近所にも「キチガイばばあ」と呼ばれるおばさんがいた。子供がその家の前で騒いだりすると、血相を変えて飛び出して来て、ガミガミガミガミと罵声を浴びせるのだ。だから、その家の前は通らないようにと親は子供に云い聞かせた。ところが、冒頭で述べた通り、子供は元来、無鉄砲な生き物だ。危険を承知で、ついついからかってしまうものなのだ。

 それから1週間ほどが過ぎた4月23日の午後6時頃、2人の少年がクルースの家の前をからかい半分にウロついていた。案の定、クルースが家の中から飛び出して、少年たちに罵声を浴びせた。ところが、少年たちは立ち去るどころか、彼を指差してゲラゲラと笑うばかりだ。カッとなったクルースは、一旦は屋内に戻ってライフルを手に取り、すぐさま飛び出すや否や発砲した。
 被弾したのは無関係な少年だった。たまたま近くでバスケットボールで遊んでいただけだったのだ。彼は幸いにも一命を取り留めている。

 何かのスイッチが入ってしまったようだ。
 白いトヨタに飛び乗ったクルースは、近くのショッピングセンターへと飛ばした。そして、パブリックス・スーパーマーケットの前で車を停めると、買い物客に目掛けて無差別に発砲した。4人のクウィート人留学生が被弾し、うちの2人、ノバイ・アル=ハメリ(25)とエマド・アル=タワクリ(18)はその場で死亡した。
 近くの車中にいたルース・グリーンも被弾した1人だった。彼女の悲鳴を聞きつけたクルースは、つかつかつかと近づくと、顔面に目掛けて発砲した。如何にも鬼畜の所業である。即死だったことは云うまでもない。

 クルースはパブリックスの店内に入ろうとしたが、出口専用の自動ドアしか見つけられずにこれを断念。近くのウィン・ディクシー・スーパーマーケット前まで走ると、ここでも発砲を始めた。最初に現場に駆けつけたジェラルド・ジョンソン巡査(28)は7発の銃弾を浴びて蜂の巣になった。ロナルド・グローガン巡査(27)もまた病院に運ばれる途中で死亡した。

 やがて店内に入ったクルースは、逃げ惑うレスター・ワトソン(51)を射殺した後、21歳の女性を人質に取ってトイレに籠城した。彼女が解放されたのは6時間後の午前0時過ぎのことだ。その1時間後に警官隊が突入し、迷惑な「町内の変人」は逮捕された。死者6人、負傷者10人にも及ぶ大惨事だった。

 クルースは「何も憶えていない」の一点張りで、心神喪失を理由に無罪を主張した。だが、陪審員は「町内の変人」の云い分を却下した。かくして死刑が云い渡されたわけだが、その後も再審を巡って争っており、刑は執行されていない。

(2010年12月10日/岸田裁月) 


参考資料

『世界殺人者名鑑』タイムライフ編(同朋舎出版)
http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9B0DE3D6143DF936A15757C0A961948260
http://ajas29.tripod.com/massbio.html


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