ハリー・ド・ラ・ロッシュ
Harry de la Roche Jr. (アメリカ)



ハリー・ド・ラ・ロッシュ

 ハリー・ド・ラ・ロッシュ(18)の父親、ハリー・シニアは勤勉で精力的な男だった。だからこそフォードの重役になれたのだ。地元への貢献にも熱心で、ニュージャージー州モントベイルではちょっとした名士だった。そんな男であるわけだから、しつけにはかなり厳しかった。長男のハリー・ジュニアもハイスクールを卒業すると、サウスカロライナ州の由緒あるシタデル士官学校に放り込まれた。しかし、ひ弱なジュニアにとっては規律の厳しい士官学校は地獄以外の何ものでもなかった。

 1976年11月21日、感謝祭に備えて帰郷するジュニアは、もう士官学校には戻らないことを両親に告げるつもりでいた。実は既に両親には内緒で退学届けを出していたのだ。理由は「母親が末期ガンで、その看病のため」。もちろん嘘っぱちである。それほどに厳格な寮生活から抜け出したかったのだ。そんなジュニアの心は不安でいっぱいだ。果たしてシニアは許してくれるだろうか? こっ酷く叱られるのではなかろうか?
 自宅では弟のロナルド(15)やエリック(12)が温かく迎えてくれた。しきりに寮生活について訊いてくる。「地獄だよ」とは云えない彼は「後で話すよ」とお茶を濁した。

 ハリー・ジュニアは11月28日には学校に戻る予定だった。その前日の土曜日の晩、地元の友人とドライブに出掛けた彼は午前2時に帰宅した。その2時間後、巡回中の警官がスピード違反の車を見咎めて停車を求めた。運転手はジュニアだった。彼は警官が口を開く前に捲し立てた。
「早く自宅に来てくれ! 両親と弟が殺された!」
 居間ではハリー・シニアとエリックが、主寝室では母親のメアリーが銃で撃たれて息絶えていた。事情を訊かれたジュニアはこう答えた。
「昼間、父と弟のロナルドが云い争いをしていた。弟がヤクをやっていたのがバレたんだよ。僕は友人とドライブに出掛けて、帰って来たらこの有り様だ。ロナルドが殺ったに違いない」
 ところが、間もなくロナルドは屋根裏のトランクの中で発見された。もちろん息はしていない。「さあ、これをどう説明するんだ?」と問いつめられて、ジュニアは自供を余儀なくされた。

 法廷においてハリー・ジュニアは供述を変えた。
「両親とエリックを殺したのはロナルドだ。僕はロナルドしか殺していない。正当防衛だったんだ」
 この弁明が通らないと悟るや、精神異常を理由に無罪を主張した。しかし、時既に遅し。陪審員は責任は問い得るとの心証を十分に得ていた。かくしてハリー・ジュニアは有罪となり、終身刑を云い渡されたのである。

(2009年3月8日/岸田裁月) 


参考文献

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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