ポール・デニヤー
Paul Charles Denyer
a.k.a. The Frankston Killer(オーストラリア)



ポール・デニヤー

 1993年6月12日、メルボルン近郊の町、ラングワーリンのロイド公園でエリザベス・スティーヴンス(18)の惨殺死体が発見された。
「Lloyd Park, Langwarrin, Victoria, Australia」
 彼女は前日の夜、ラングワーリンの停留所でバスを降りたのを最後に行方不明になっていた。おそらく、その直後に襲われたのだろう。喉を切り裂かれ、胸には十字の切り傷があった。ブラジャーは首まで押し上げられていたが、強姦はされていなかった。
 女子学生の痛ましい死は世間に衝撃を齎した。警察はバスの乗客一人一人を尋問し、彼女の等身大のマネキンをバス停に置いて情報を呼びかけたが、捜査は一向に進展しなかった。

 約1ケ月後の7月8日、仕事を終えて帰宅途中のロッサ・トス(41)が、シーフォード駅から出たところを何者かに襲われた。
「Seaford station, Victoria, Australia」
 長身で肥満体のその男は、彼女に銃を突きつけて脅し、近くの藪の中に引きずり込もうとした。しかし、彼女は男の指に噛みついて逃げ出し、たまたま通りかかった車に助けを求めて難を逃れた。

 同じ日の夜、12日前に息子を産んだばかりの主婦、デビー・フレーム(22)が、車でミルクを買いに出かけたっきり行方不明になった。彼女の遺体は4日後にキャラム・ダウンズのパドックで発見された。喉を切り裂かれ、胸や腕を24ケ所も刺されていた。強姦はされていなかった。
 遺体の状況はエリザベス・スティーヴンスの件と酷似していた。おそらく同一人の犯行だろう。そして、ロッサ・トスを襲った男も同一人である可能性が高い。つまり、フランクストンを基点にした周辺に連続殺人犯が潜んでいることになる。マスコミは犯人のことを「フランクストン・キラー」と命名し、連日のように報道した。警察は近隣の家々を虱潰しに巡回するローラー作戦を展開したが、犯人逮捕に繋がる情報は尚も得られなかった。

 3週間後の7月30日、フランクストンにある2つのゴルフ場、ロング・アイランド・カントリー・クラブとペニンシュラ・カントリー・ゴルフ・クラブの境界にある歩道の脇でナタリー・ラッセル(17)の遺体が発見された。
「The Peninsula Country Golf Club, Frankston, Victoria, Australia」
 遺体の状況は最も酷かった。顔面を何度も切りつけられ、挙げ句に喉を切り裂かれていた。
 彼女は学校からの帰宅途中に行方不明になっていた。検視解剖によれば、死亡推定時刻は午後3時。これには捜査官たちは驚いた。犯人は大胆にも真っ昼間から犯行に及びやがったのだ。おそらく連日の報道と警察の呼びかけで、女性が夜間の一人歩きを控えるようになったからだろう。ひと気の少ない裏道を犯行現場に選ぶ辺りはなかなか抜け目がない。
 だが、犯人はこのたびは重大なミスを犯した。致命的な物証を残してしまったのだ。それは被害者の首に付着していた指の皮膚だった。彼女と格闘した際に負傷したものと思われる。
 また、パトロール中の巡査が犯行当時の現場付近に駐車されていた不審車の登録ナンバーを控えていた。それは黄色のトヨタ・コロナで、ナンバープレートは外されていたが、フロントガラスに貼られていた登録証のそれを控えていたのだ。巡査、グッジョブ。

 不審車の所有者はポール・デニヤーという21歳の無職の男だった。犯行現場付近のアパートで、同年代のシャロン・ジョンソンと同棲していた。
「186 Frankston Dandenong Road, Frankston, Victoria, Australia」
 デニヤーを尋問した捜査官は、彼が犯人であることを確信した。その指は傷だらけだったのだ。
「君はDNA鑑定というのを知ってるかね?」
 捜査官は訊ねた。
「現場に犯人の一部、例えば髪の毛や血液などが残されていた場合、犯人を特定することが出来るんだよ。そして、ナタリー・ラッセルの遺体には犯人の皮膚が残されていた。これでも君はシラを切り通すつもりかね?」
 デニヤーはしばらく考えて答えた。
「判ったよ。3人とも俺が殺した」
(Okay, I killed all three of them.)



壁の血文字

 ポール・デニヤーは1972年4月14日、シドニーで6人兄弟の3番目として生まれた。気立てのいい、ごく普通の子供だった。そんな彼が豹変したのは、9歳の時に鉄道員だった父親の配置転換のためにフランクストンに移住して以降だった。学校に馴染めず、友達を作ることもままならなかった。次第に内向的になり、手製のナイフで悪さを始めた。妹のぬいぐるみをナイフで切り刻んだのを皮切りに、10歳の時には飼い猫を切り刻んで庭の木に吊るす、バイト先の牧場でヤギを切り刻む等、その蛮行はますますエスカレートして行った。
 初めて逮捕されたのは13歳の時。容疑は自動車泥棒だった。この時は厳重注意の上で釈放されたが、2ケ月後には消防署に誤通報をした容疑で再逮捕された。また、15歳の時には同年代の少年に子供たちの前でオナニーすることを強要した容疑で逮捕された。いやはや、手に負えない悪ガキである。

 やがて成人を迎えたデニヤーは、バイト先のスーパーマーケットで知り合ったシャロン・ジョンソンと同棲を始めるわけだが、間もなく彼はクビになる。ショッピング・カートの連結を乱暴に扱ったために、主婦とその子供を押し倒してしまったからだ。その後はマリーン・ワークショップでの職を得るが、勤務時間に手製のナイフばかり作っているので、またしても解雇される。以後はクマのプー太郎である。

 肥満体のデニヤーは、仲間内から「ジョン・キャンディ」との綽名を授かっていた。1994年に43歳の若さで急逝したアメリカのコメディアンである(映画『ホーム・アローン』や『クール・ランニング』等で有名)。しかし、デニヤーにはジョン・キャンディと通じる点は微塵もない。陰湿で、ユーモアのかけらも感じられない。そもそもデニヤーが好んだのはコメディ映画ではなくホラー映画だった。特に『W/ダブル』がお気に入りで、何度も繰り返し鑑賞していたという。

 間もなくデニヤーが住むアパートの周辺で気味の悪いことが起こり始めた。帰宅すると、衣服や写真がズタズタに切り裂かれていたのだ。特に悪質なのはドナのケースだろう。彼女が帰宅すると、壁には「Donna Youre Dead」の血文字。その血は彼女の飼い猫のものだった。1993年2月のことである。そして、その4ケ月後にデニヤーはエリザベス・スティーヴンスを惨殺する。既にカウントダウンは始まっていたのだ。



取調べ中のデニヤー

 デニヤーはエリザベス・スティーヴンスの殺害をこのように語った。

「あの日は雨が降っていた。殺すのは誰でもよかった。やがて一人で道を歩く手頃な女を見つけた。俺は背後から彼女を取り押さえて云った。『銃を持っている。もし叫んだり、逃げようとしたら殺すぞ』ってね」

 実はエリザベスに突きつけていたのは本物の銃ではなかった。デニヤーがアルミのパイプと木片で作った模造品だ。

「彼女の首の後ろに銃を突きつけたまま、俺たちは近くのロイド公園に向かった。林を抜け、丘に近づいた辺りで、彼女がトイレに行きたいと云い出した。俺は彼女のプライバシーを尊重したさ。後ろを向いて、用を終えるまで待ってやった」

 随分と紳士的な殺人犯である。

「それから彼女の遺体が発見された場所に行き、そこで首を絞めたんだ。やがて彼女は意識を失った。俺はナイフを取り出すと、首を何度も切り裂いた。だが、彼女はまだ生きていた。逃げようとするので押し倒して、首を踏みつけることで息の根を止めたんだ」

 取調官は戦慄を覚えた。その供述には改悛の情が微塵も感じられないのだ。それどころか身振り手振りで犯行を再現し、恰も己れの犯行を自慢しているかのようだった。
 デビー・フレームの殺害についてはこのように語った。

「あの晩はシーフォードで失敗をやらかしたので(註:ロッサ・トスの件)、電車に乗って一駅先のカナノックで降りた。で、手頃な女を探していると、彼女の姿が目に入ったんだ。車から降りて店に向かうところだった。俺は後部座席に乗り込み、彼女が戻って来るのを待った。もちろん屈んでいたさ。叫ばれちゃ困るからね。だから、発進するのを待って銃を突きつけたんだ。発進してしまえば、いくら叫ぼうがエンジン音にかき消されてしまうからね」

 なかなか抜け目がないぞ、こいつ。

「俺はそのまま運転し続けるように命じた。そして、対向車に妙なサインを送ろうものなら車内に脳ミソをぶちまけてやると脅したよ。これは効果覿面だった。彼女は完全に俺の云いなりになった」

 ここで取締官が思わず問いただした。
「君は彼女が母親になったばかりだということを知っていたのかね?」
 デニヤーは答えた。
「ああ、知っていたさ。後部座席にはチャイルド・シートがあったからね」
 それでも構わずに殺す。こいつはそういう男なのだ。しかも、こんな不埒なことを口にする。

「パイオツがどれだけデカくなっているのかを見たかったしね」
(I wanted to see how big her boobs were.)

 遺体発見現場で首を締め、切り刻んだのはエリザベス・スティーヴンスの件と同様である。その後、彼女の車を運転して自宅付近に駐車して帰宅。翌朝に再び車に出向き、デビー・フレームの買い物と財布を奪っている。
 最後の犠牲者、ナタリー・ラッセルの殺害についてはこのように語った。

「あの日は午後2時30分にスカイ・ロードに車を停めて、女が通るのを待ち伏せたんだ。20分ぐらいしたところで、彼女があの抜け道に入って行った。俺は背後から近づき、あらかじめ金網のフェンスに穴を開けておいたところで掴み掛かり、口を塞いで、喉にナイフを突きつけたんだ。この時だよ、自分の指を切っちまったのは。かなり暴れられたからね」

 彼女は猛然と抵抗したが「大人しくしないと喉を切るぞ」と脅されて、已むなく服従した。そして、2人はフェンスの穴から藪の中へと入って行った。

「彼女、俺に何て云ったと思う? 『お金ならみんなあげるわ。セックスしてもいいわよ』と来たもんだ。女子高生がセックスだぜ? モラルのかけらもないね。俺は頭に血が上った。気がついたら彼女の顔を切りつけていた」

 ナタリー・ラッセルの遺体の状況が最も酷かったのは、こういうわけだったのだ。しかし、連続殺人犯が女子高生のモラルの欠如に嘆くとは…。
 ちなみに、己れの犯行を淡々と語っていたデニヤーが感情的になったのは、唯一この時のみである。

 動機を訊かれたデニヤーはこのように答えた。
「憎いからだ」
(I just hate 'em.)
 取調官は訊ね返した。
「被害者たちが? それとも女性全般が?」
(Those particular girls, or women in general ?)
「女性全般だ」
(General.)
 しかし、彼は女性と同棲している。そのことを問いただされると「彼女は特別だった」。何がどう特別なのかは判らない。そして、彼の憎悪の根源も判らないままだ。

 かくして3件の殺人で有罪となったデニヤーは終身刑を宣告された。獄中では髪を伸ばして女装し、性転換手術を受けることを申請したりしている。まったくワケが判らない。何なんだ、こいつ。

(2011年3月7日/岸田裁月) 


参考資料

http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Denyer
http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/predators/paul_denyer/1.html
http://www.theworldofcrime.com/2010/06/paul-charles-denyer-frankston-serial.html


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