プリシラ・フォード
Priscilla Ford (アメリカ)



プリシラ・フォード


凶器のリンカーン・コンチネンタル

 1980年11月27日、ネバダ州リノ。その日は感謝祭で、カジノが立ち並ぶノース・ヴァージニア・ストリートは昼間から混雑していた。と、そこに74年型の黒いリンカーン・コンチネンタルが現れたかと思うと、突如としてハンドルを切り、歩道に突進したのだから堪らない。運転手はブレーキを踏むことなく、逆にアクセルを踏んで全速力で歩道を走り抜けた…。
 いやはや、トンデモない奴がいたものである。歩行者は次々と撥ねられて、手足がちぎれて散乱し、現場はさながら戦場のようだったという。結果、死者7人、負傷者24人の大惨事となった。目撃したドライバーが車をぶつけて制止しなければ、更に多くの犠牲者が出ていたことだろう。

 リンカーンを運転していたのは51歳の黒人女性だった。警官に名前を訊かれて、彼女は答えた。
プリシラ・フォードよ。でも、ジーザス・クライストって呼ばれることもあるわ」
 おいおい、なんだよ。キ印かよ。しかも、かなり酔っている。
「私はニューヨークで教師をしていたの。退屈な暮らしだったわ。だから、注目を浴びたかったのよ。出来るだけたくさん殺してやろうって思ったの」
 なんてこったい。こりゃ事故なんかじゃない。殺人だ。
「リンカーン・コンチネンタルならたくさん殺せる。でしょ?」
(A Lincoln Continental can do a lot of damage, can't it ?)
 いや、「でしょ?」って訊かれても…。
「6月にボストンにいた時、声が聞こえたの。人ごみに車で突っ込んで出来るだけ殺せって」
 いよいよ本物のキ印だ。しかし、計画的な面もある。
「今日はワインをしこたま飲んだの。そうすれば事故だって云い逃れできるでしょ?」
 いやいや、それをバラしたら云い逃れはできませんよ。
「たくさん死んでいるといいわね。霊安室が忙しくなる。それがアメリカン・ウェイってものよ」
 そんなアメリカン・ウェイ、聞いたこともない。
「50人行った? どれだけ行ったの? 75人だといいわね」
(Did I get fifty ? How many did I get ? I hope I got seventy-five)
 いやはや、ハンパねえキ印だ。

 本来ならば精神病院送りが妥当なのだが、事の重大性を鑑みた陪審員はそうはさせなかった。有罪を評決し、死刑判決を下したのである。しかし、刑が執行されぬまま、2005年1月29日に肺気腫により死亡した。

(2009年3月19日/岸田裁月) 


参考文献

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


BACK