エマ・ルドゥー
Emma LeDoux (アメリカ)


 

 1906年3月下旬、ところはサンフランシスコ、サザン・パシフィック鉄道の手荷物預かり所での出来事である。職員たちは何やら悪臭が漂っていることに気づいた。はて、何の臭いだろう。くんくんくんと嗅いで回り、最終的に一つのトランクに辿り着いた。人が一人収納出来るほどの大きなトランクである。直ちに警察が呼ばれて、中身を調べたところ、案の定、口髭を蓄えた肥えた男の遺体が収納されていた。

 間もなく警察はトランクが3月24日に、サンフランシスコから70マイルほど離れたストックトンの駅から、チャールズ・バリーという運送屋により発送されたことを突き止めた。バリーの供述によれば、若い魅力的な女性に頼まれて、まずローゼンバウム・デパートから彼女がいる宿屋まで運び、後日に荷造りが済んでからストックトン駅まで運んだのだという。その際に彼女から、
「とても重いので、一人で運ぶのは無理よ」
 と忠告されたので、助手と二人で運んだ。片側が特に重かったことを彼は憶えていた。おそらく、そちらが頭だったのだろう。

 その女性は宿屋に「アルバート・マクヴィカー」の妻として投宿していた。彼女と共にチェックインしたマクヴィカー氏の風貌は、遺体とほぼ一致していた。
 女性の足取りを追った警察は、彼女がアンティオクの宿屋に「ジョーンズ夫人」の名で投宿していることを突き止めた。直ちに身柄を押さえたところ、彼女の本名は「マクヴィカー夫人」でも「ジョーンズ夫人」でもなく、エマ・ルドゥーであることが判明した。

 エマの供述によれば、被害者のアルバート・マクヴィカーはかつての夫だという。1年ほど前に離婚した後、ルドゥーという裕福な農夫と結婚した。
 彼女はマクヴィカーと共に宿屋に泊まったことは認めた。しかし、殺したのはジョー・ヒーリーだと主張して譲らない。ヒーリーに銃で脅されて、已むなく手伝ったまでだというのだ。
 ジョー・ヒーリーなる男は確かに実在した。サンフランスシコの配管工だ。彼もまたエマに手玉に取られた男の一人だった。結婚しましょと誘われて、ダイヤの指輪を買わされたっきり梨の礫になっていたのだ。彼には、エマはともかく、マクヴィカーを殺す動機がない。しかも完璧なアリバイがあった。ここしばらくはサンフランシスコから離れていないのだ。

 エマの所持品からは以下の品々が押収された。
 モルヒネ1瓶。
 青酸カリ1瓶。
 フェノール1瓶。
 抱水クロラール1瓶。
 マクヴィカーからは大量のモルヒネと抱水クロラールが検出されている。彼女の犯行であることは一目瞭然だ。
 検視解剖を担当した医師によれば、トランクに入れられた時、マクヴィカーはまだ生きていた。彼の頭には打撲傷と擦り傷が認められたが、それはおそらくトランクに放り込まれた時についたものだ。死因は閉じ込められたことによる窒息死だった。

 かくしてエマ・ルドゥーはマクヴィカー殺しの容疑で起訴されたわけだが、当のエマはというと、まるで他人事だったという。検察官は語る。
「あの女は理解を越えていたね。あんなに冷静で、無関心な被告は見たことがない。我が身の一大事だってえのに、さも当り前のように振る舞っていたんだから」
 かなり問題のある女性のようだ。

 法廷で明らかになった彼女の素性も「魔性の女」と呼ぶに相応しいものだった。17歳の時に最初の結婚を果たすも、間もなく死別。すぐさまウィリアムという名の、肺を患った坑夫と再婚する。しかし、彼もまたすぐに亡くなり、彼女は多額の保険金を手に入れた。保険金目当てで結婚したと思われても已むを得まい。そして、その直後に結婚したのがマクヴィカーだった。
 マクヴィカーと別れた後、ルドゥーと結婚したわけだが、こいつもかなりの変わり者だ。我が妻が自由気ままに暮らすことを容認していたのだ。最初に尋問された時、妻の居所を知らなかった。
「サンフランシスコの何処かにいるでしょう。あいつに家にいろと云っても無駄ですよ」
 しょっちゅう出歩いていたようだ。
「でも、頃合いを見計らって帰って来るんです。可愛い奴ですよ」
 エマは遂に理想の夫を見つけたというわけだ。

 ところで、エマはマクヴィカーとは「離婚した」と供述していたが、実は正式には離婚していなかった。つまり、エマは重婚を犯していたのだ。これが殺しの動機だ。おそらく未練たらたらのマクヴィカーにルドゥーにバラすぞと脅されて、已むなく殺害したのだろう。

 エマには一旦は死刑判決が下されたが、控訴審で終身刑に引き下げられた。10年後に仮釈放されるも、その2ケ月後に飲酒(禁酒法が施行されたばかりだった)と未成年を誘惑したかどでしょっぴかれて、サン・クェンティン刑務所に逆戻り。その4年後に再び仮釈放されるも、間もなく小切手偽造の容疑でしょっぴかれた。その後は仮釈放はおあずけで、1941年に獄中で死亡。さても懲りない女である。

(2009年6月24日/岸田裁月) 


参考資料

『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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