ゲンナジー・ミカセヴィッチ
Gennadiy Mikasevich (ソビエト連邦)


 

 1971年から1985年にかけて、旧ソビエト連邦クラスノダール地方の街、ソロニキでは女性の絞殺事件が相次いでいた。その手口はいつも同じ。言葉巧みに車に誘い込み、スカーフで絞め殺すのだ。犠牲者の数は14年間で実に36人にも及んでいたというから尋常じゃない。

 その間、地元警察は手を拱いて見物していたわけではない。ちゃんと容疑者を逮捕したさ、4人も。
 まず、グルシャコフなる男が逮捕されて、10年の懲役刑が下された。
 次いで、オレグ・アダモフが逮捕されて、15年の懲役刑が下された(服役中に自殺を試みたようだが、その生死は不明)。
 ゴレロフなる男は刑期を6年務めたところで失明してしまった。
 1980年に逮捕されたテレニフなる男に至っては死刑である。ところが、刑が執行されても連続殺人は止まなかった…。
 なんだかなあ。いずれも冤罪ですかい? ちゃんと仕事して下さいよ、おまわりさん。

 警察がこんなていたらくなものだから、調子に乗った犯人は警察署に挑発文を送りつけている。その中で犯人は、己れの犯行が「ふしだらな女たちへの復讐」であることを宣言し、自らを「ビテブスクの志士(Patriot of Vitebsk)」と名乗っていた。
 この署名は最後の被害者の遺体にも残されていたので、犯人からの手紙であることは間違いない。

 この手紙に注目したのがニコライ・イグナトヴィッチ刑事だった。犯人は赤いザズ(ウクライナ製の軽自動車)に乗っていたとの数々の証言から、付近一帯7千台にも及ぶ赤いザズの登録書類を調べ上げたのである。つまり、手紙と同じ筆跡の者が犯人というわけだ。
 かくして、イグナトヴィッチ刑事は1人の男に辿り着いた。ゲンナジー・ミカセヴィッチ。国立自動車修理工場のソロニキ工場長にして、なんと、ボランティアで事件捜査に関与していた人物だった。容疑者を取り調べたこともあったというから、いやはやなんとも。そりゃ冤罪も起しますよ。

 間もなく罪を認めたミカセヴィッチは、1985年から88年までの間に死刑に処されたというが、この辺りの情報のアバウトさが如何にも旧ソビエトらしい。

(2009年11月30日/岸田裁月) 


参考資料

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
http://www.crimezzz.net/serialkillers/M/MIKHASEVICH_gennadiy.php
http://www.crimelife.com/killers/mikasevich.html


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