アーウィン・シマンツ
Erwin Charles Simants (アメリカ)



アーウィン・シマンツ

 1975年10月19日、ネブラスカ州の田舎町、サザーランドでの出来事である。その日の深夜、地元警察に緊急通報があった。
「ヘンリー・ケリーの家で人が死んでいる。至急に来て欲しい」
 慌てて現場に急行したところ、人が死んでいるどころの騒ぎではない。一家が皆殺しにされていたのだ。

 ヘンリー・ケリー(66)
 マリー・ケリー(57・ヘンリーの妻)
 デヴィッド・ケリー(32・ケリー夫妻の息子)
 フローレンス・ケリー(10・デヴィッドの長女)
 ディアナ・ケリー(7・デヴィッドの次女)
 ダニエル・ケリー(5・デヴィッドの長男)

 マリーとディアナ、ダニエルは居間で、ヘンリーとフローレンスは寝室で殺害されていた。いずれも銃で撃たれている。また、フローレンスには性的に虐待された痕跡が残されていた。

 通報を受けたオペレーターは通報者の声に聞き覚えがあった。人口840人ほどの小さな町である。知り合いであっても何ら不思議ではない。しかし、それが誰であるかは思い出せなかった。

 翌朝、警察にケリー家の隣人の妻から通報があった。
「ケリーさんの一家を殺したのは、うちに同居している男だと思います」
 その男がアーウィン・シマンツ(29)だった。間もなく彼は抵抗することなく逮捕された。
 ちなみに、通報者はシマンツの実姉だった。オツムが足りないシマンツは、姉夫婦の家の地下室に居候していたのだ。

 シマンツの供述によれば、ことのあらましは以下の通り。
 その晩、義兄のライフルを拝借したシマンツは、ケリー家に押し入ると一家6人を皆殺しにした(押し入ったのはフローレンスを強姦するためだと思われるが、シマンツは動機については一切の口をつぐんだ。馬鹿は馬鹿なりに強姦が恥ずかしいことだと理解していたようだ)。
 その後、姉の家に戻ったシマンツは、ライフルを元に戻し、13歳の甥に告白した。
「今、ケリーさんたちを殺して来た」
 そして、両親にも電話をして犯行を告白した後、キッチンテーブルでこのように書き綴った。
「みなさん、ごめんなさい。これが一番いい解決法です。泣かないで下さい」
(I am sorry to all. It is the best way out. Do not crie.)
 警察に事件を通報したのはシマンツの父親だった。告白を受けてケリー家に急行した彼は、事実であることを知り、しかし、親心ゆえに息子の犯行であることを云えなかったのだ。

 裁判において、シマンツの弁護人は責任無能力を理由に無罪を主張した。しかし、陪審員はこれを受け入れずに有罪を評決、シマンツには死刑が宣告された。
 ところが、この裁判には手続上の瑕疵があった。保安官が陪審員に面会し、シマンツの過去の振る舞いや無罪にすることの危険性について説示していたのだ。つまり、評決に偏見が介在していたのである。
 かくして、リンカーンに場所を移しての再審が認められ、リンカーン市民で構成された陪審員はシマンツを精神異常と認めて無罪を評決した。その後、シマンツは精神病院に収容されて今日に至るわけだが、サザーランド市民にとってはたまったもんじゃない。いつまたあのキチガイが帰って来るかも知れないのだから。

(2010年12月14日/岸田裁月) 


参考資料

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)
http://nebraska.statepaper.com/vnews/display.v/ART/2005/10/18/43551d8bdc3cb
http://www.bsos.umd.edu/gvpt/lpbr/reviews/2008/09/rights-in-balance-free-press-fair-trial.html


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