ライオネル・ウィリアムス
Lionel Ray Williams (アメリカ)



サル・ミネオ


犯行現場

 サル・ミネオといえば真っ先に思い出されるのがジェイムス・ディーンと共演した『理由なき犯行』である。ブルックリンのストリート・ギャング出身の17歳の青年は、この1本で一躍スターダムに躍り出た。ところが『理由なき犯行』の印象が強烈だったために、その後も同じような配役が続いた。「死に急ぐ未熟な若者」という役柄である。そして、年齢と共にその需要は減って行く。30代後半になっていた彼は、活躍の場を主に舞台に移していた。

 サルの晩年の姿は『刑事コロンボ』の1つ、『ハッサン・サラーの反逆』で見ることが出来る。冒頭で早々に殺される彼は長髪の口髭で、「えっ? これがサル・ミネオ?」ってな風貌である。ステレオタイプの役柄から抜け出そうとしていたことが窺える。『新・猿の惑星』では猿役に挑戦し、舞台ではゲイのレイプ・シーンが売り物の監獄劇『Fortune and Men's Eyes』に演出も兼ねて出演する等、積極的に新しいことを試みていた。
 最晩年の仕事はジェームズ・カークウッド演出の舞台劇『P.S. あなたの猫は死にました』。サルはコミカルなゲイの役を演じる予定だった。しかし、そのリハーサル中に暴漢に襲われて死亡。37歳だった。

 それは1976年2月12日夜のことだ。リハーサルを終えたサルは、サンセット大通りを少し下った自宅アパートの駐車場に車を停めた。
 ちなみに、この辺りは街娼が屯する如何わしい地域として知られている。このことは当時のサルが経済的に恵まれていなかったことを意味している。かつて2度もアカデミー賞にノミネートされたことのあるスターが住むべき場所ではない。
 と、その時、1人の暴漢が彼に襲い掛かった。
「何をするんだ! やめろ! 誰か助けてくれ!」
 この声を耳にした隣人のレオ・エヴァンスが駐車場に駆けつけると、胸を刺されたサルが仰向けで倒れていた。傷は心臓に達していた。致命傷だ。エヴァンスは人工呼吸を試みたが徒労に終わった。

 目撃者によれば、犯人は「茶色の髪を長く伸ばした白人男性」とのことだ。しかし、そうだとしても犯行の動機が判らない。サルの財布は全くの手つかずだったのだ。そのためにあらぬことが噂された。当時の『ニューズウィーク』紙にはこうある。

《この殺人には物盗りらしい形跡はなく、いかなる動機も警察は見出せなかった。しかし、最近のミネオの役柄にホモセクシャルが多かったことから、また事件が如何わしいサンセット大通りで起こったことから、彼がバイセクシャルで、SM趣味があったという以前から囁かれていた噂がたちまちこの事件を包み込んでしまった》

 つまり、ゲイの恋人との痴情の縺れか何かで殺されたのではないかというのだ。また、麻薬絡みではないかと噂する者もいた。しかし、こうした噂は全く捜査の役には立たず、手掛かりが得られぬままに1年余りが経過した。人々は事件のことを忘れ始めていた。



ライオネル・ウィリアムス

 1977年5月、一人の主婦が警察に出頭し、突飛なことを云い出した。なんでもサル・ミネオを殺したのは自分の夫だというのだ。
「事件があった夜、夫は血まみれで帰宅して、こんなことを口にしたんです。たった今、ハリウッドの気取り屋を殺して来たぞって」
 警察はこの男のことを知っていた。事件当時はピザ配達人をしていたライオネル・ウィリアムス(22)は、強盗容疑で逮捕された時に、このような取引を申し出ていたのだ。
「俺はサル・ミネオを誰が殺したのか知っている。奴さんは麻薬を巡るいざこざに巻き込まれて殺されたんだ」
 サルには麻薬の嫌疑がなかったため、いい加減な作り話だとして顧みなかった。ところが、このたびはまんざら作り話とは云い切れない。夫人の供述が具体的なのだ。
「凶器は夫が5ドル28セントで買い求めたハンティングナイフでした」
 値段まで憶えていたのだ。早速、同じ特徴のナイフを買い求め、傷の標本と照らし合わせたところ、ぴったり一致したのだから意外や意外。棚からから牡丹餅、瓢箪から駒である。

 ウィリアムスが収監中のミシガン刑務所に問い合わせたところ、彼は「サルを殺したのは俺だ」とたびたび吹聴しているという。いよいよホンボシと思われたが、しかし、1つだけネックがあった。ウィリアムスはアフロの黒人なのだ。「茶色の髪を長く伸ばした白人男性」との目撃証言にそぐわない。
 ところが、1年前の彼の写真を目にした捜査官は思わず叫んだ。
「なんだ、そういうことだったのか!」
 事件当時のウィリアムスは縮れ毛をストレートパーマでまっすぐに伸ばし、しかも茶色に染めていたのだ。これではちょっと見、白人だと思われても不思議ではない。事件は夜に起こったのだ。

 かくしてライオネル・ウィリアムスは、サル・ミネオ殺しの他、10件の強盗容疑で有罪となり、51年から無期の不定期刑が云い渡された。1990年には釈放されたが、その後もちょいちょい強盗事件を起こしてはムショに放り込まれているようである。

(2009年2月24日/岸田裁月) 


参考文献

『運命の殺人者たち』J・R・ナッシュ著(中央アート出版社)
『検死解剖』トーマス野口(講談社)


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