エドウィン・ベイリー
メアリー・アン・バリー

Edwin Bailey
Mary Anne Barry (イギリス)



 エドウィン・ベイリー(32)はイングランド西部の都市、ブリストルで靴屋を経営していた。妻帯者だが、身体に障害を負った妻はロンドンの実家にいる。それをいいことに浮気しまくりの毎日だった。
 スーザン・ジェンキンス(18)もそのお相手の一人である。小間使いをしていた彼女は、御主人様の云いつけでベイリーの店を訪れた折りに手篭め同然に貞操を奪われたようだ。しかし、彼女は警察に届けることなく、その後も関係を続け、サラ・ジェンキンスを産むことになる。1872年10月23日のことである。
 ベイリーはサラを認知しようとしなかった。まったく無責任な男である。これに対してスーザンは訴えを起こし、ベイリーには「週につき5シリングの養育費を支払うべき」との判決が下された。現在の価値にして2万円ほどの金額である。これは相当痛かった。ベイリーにとってサラの存在は目の上のたんこぶ以外の何物でもなかった。

 サラを産んでからのスーザンは、ブリストル郊外のステープルトンにある実家で子育てに専念していた。そんな折り、アンと名乗る女性が訪ねて来た。その年の暮れのことである。なんでも「ドーカス・ソサエティー」というキリスト教系慈善団体の関係者だとかで、彼女はしきりに同団体の世話になることをスーザンに勧めた。
「いえいえ、私には養育費を出してくれる御方がおりますから」
 何度断ってもアンは月に一度くらいの頻度で訪ねて来た。そして、サラに乳歯が生えてくる頃には、その痛みのケアとして「スティードマンズ・スージング・パウダー」という商品を使うのがベストとアドバイスしていた。

 1873年8月13日、スーザンのもとに「ドーカス・ソサエティー」代表「ジェーン・スミス」名義の小包が届いた。中身は「スティードマンズ・スージング・パウダー」3袋だった。
「ああ、これがアンが勧めていたやつね」
 4日後の8月17日、スーザンは何の疑いもなく、それをサラの歯茎に塗った。すると、サラはガクガクガクを痙攣し始め、体を弓なりの逸らして死んでしまった。あっという間の出来事だった。
 死因はストリキニーネ中毒だった。件のパウダーの中身がストリキニーネを主成分とする殺鼠剤と入れ替えられていたのである。

 では、誰が入れ替えて送りつけたのか? 最も疑わしいのはエドウィン・ベイリーであることは云うまでもない。事実、小包の筆跡はベイリーのものと同じだった。ところが、本件ではアンと名乗るもう一人の人物が介在している。彼女はいったい誰なのか?
 間もなくその身元が割れた。メアリー・アン・バリー(31)。ベイリーの店の使用人だった。どうして彼女は幾度にも渡ってスーザンのもとを訪れたのか? その供述によれば、
「サラの本当の父親は誰かを探るようにベイリーさんに頼まれました」
 とのことだが、果たしてそうだろうか? サラの養育費を打ち切るために慈善団体の世話になることを勧め、ダメだと判ると殺人を幇助したのではないだろうか?

 かくして、殺人容疑で有罪となり、死刑を云い渡されたベイリーとバリーの両名は、1874年1月12日に絞首刑により処刑された。
 メアリー・アン・バリーの立ち位置が今一つ不明で、死刑は重過ぎるとの向きもあるが、彼女はベイリーの愛人であったとの説があり、これによれば共同正犯なので死刑も已むを得ないのだろう。

(2012年9月29日/岸田裁月) 


参考資料

http://www.murder-uk.com/
http://www.capitalpunishmentuk.org/barry.html
http://murderpedia.org/female.B/b/barry-mary-anne.htm


counter

BACK