ジョージ・バンクス
George Emil Banks (アメリカ)



ジョージ・バンクス

 1982年9月25日早朝、ペンシルベニア州ウィルクスバリの閑静な住宅地、スクールハウス・レーン28番地で銃声が響き渡った。家主であるジョージ・バンクス(40)が同居人8人をAR−15セミオートマチック・ライフルで射殺したのである。

 レジーナ・クレメンス(29・バンクスの愛人)
 モンタンジマ・バンクス(6・バンクスとレジーナの娘)
 スーザン・ユハス(23・バンクスの愛人・レジーナの妹)
 ブエンデ・バンクス(4・バンクスとスーザンの息子)
 モーリタニア・バンクス(1・バンクスとスーザンの娘)
 ドロシー・ライアンズ(29・バンクスの愛人)
 ナンシー・ライアンズ(11・ドロシーの娘)
 フォラルード・バンクス(1・バンクスとドロシーの息子)

 まず、この家族構成に驚かされる。ナンシーを除けば、すべて愛人と実子なのだ。しかも、レジーナとスーザンは姉妹である。にも拘らず同じ男と愛人関係にあり、その子を産んで同居していたのだ。まるで一昔前のヒッピーのようだ。
 更に驚くべきなのは、殺害方法の残虐性である。バンクスはことごとくその顔面を撃ち抜いているのだ。我が子であるにも拘らず、一切躊躇していないのである。

 バンクスの狼藉はこれに留まらなかった。
 血まみれの寝巻を脱いで軍服に着替えたバンクスは、屋外で2人の若者に出くわした。銃声を聞きつけて様子を窺っていたレイモンド・ホール(24)とジミー・オルセン(22)である。バンクスは彼らにも発砲した、オルセンはどうにか一命を取り留めたが。ホールは助からなかった。

 その後、バンクスは車でヘザー・ハイランズ・モービル・パークへと向かった。そこのトレイラーハウスには子供の親権を巡って争っている元愛人が住んでいたのだ。

 シャロン・マゼロ(24・バンクスの元愛人)
 キスメイユ・バンクス(5・バンクスとシャロンの息子)
 アリス・マゼロ(47・シャロンの母親)
 スコット・マゼロ(7・シャロンの甥)

 まず、シャロンが玄関で胸部を撃たれて殺害された。次いで、カウチで寝ていたキスメイユが顔面を撃たれた。アリスは警察に通報しようとしたが、ダイヤルを回す途中で頭を撃たれた。アリスの息子、キース(13)はクロゼットに、アンジェロ(10)はベッドの下に隠れていた。しかし、スコットにはそれだけの知恵がなかった。叫び回っていたところを、バンクスに蹴り飛ばされて、顔面を撃たれた。
「みなごろしだあ!」
(I killed them all !)
 そう叫びながら彼は去って行ったという。

 その後、車を乗り捨てたバンクスは、近くの運転手を銃で脅して車を奪い、町の果てまで飛ばすと、ジンを呷って眠りについた。

 翌朝の午前5時30分、目覚めたバンクスは母親のメアリー・バンクスの家を訪れた。こんな朝早くに息子が訪ねて来たのは初めてだった。しかも、かなり酒臭い。彼女は訊ねた。
「いったい何があったの、ジョージ?」
 彼は答えた。
「すべて終わりだよ、母さん。すべて終わりだ。みんな殺したんだ」
「誰を殺したの、ジョージ? 誰を殺したの?」
「みんな殺したんだよ、母さん。子供も、レジーナも、シャロンも、みんな殺したんだ」
「まさか!」
「もう終わりだよ。終わったんだ」

 メアリーはその真偽を確かめるためにバンクスの自宅に電話を掛けた。電話に出たのは待機していたジム・ザーデッキ捜査官だった。バンクスは受話器を母から奪って云った。
「こちらはジョージ・バンクスだ。子供たちはどうした?」
「生きてるぜ、ジョージ」
「嘘つけ! 俺が殺したんだ!」
 バンクスは電話を切った。

 その後、バンクスは母親に車でモンロー・ストリートまで送って欲しいと依頼した。そこには最近まで彼の友人が住んでいた貸家があり、そこに籠城することを決め込んでいたのだ。
 息子を送り届けて帰宅した母親は、待ち受けていた捜査官に息子の居場所を正直に告白した。

 100人以上の武装警官が取り囲む中で、午前7時20分から開始された降伏交渉は実に4時間にも及んだ。興味深いのは、地元ラジオの協力でフェイクのニュースの流したことだ。
「被害者の子供たちはまだ生きています。但し、輸血が足りていません。どうか善良なる市民は輸血に協力して下さい」
 この放送を受けて、バンクスにも輸血の協力を求めたのだ。
「君の子供はまだ全員が死んだわけではない。情報不足で誰とは特定出来ないが、何人かはまだ生きているんだ。君の血を必要としているんだよ。彼らを助けるためにも投降してはくれないだろうか?」
 だが、バンクスは騙されなかった。
「俺は確実に殺している。まだ生きているってのはデタラメだ!」
 そうだろうね。頭を撃ち抜いているのだから。

 しかし、仕事仲間のロバート・ブランソンが交渉に当ることで流れは変わった。ブランソンは彼にこのように切り出した。
「ジョージ、お前が死ぬ前に話させてくれ。お前が死ぬ気ならば俺はそれでも構わない。だが、これだけは伝えておきたいんだ」
「今日は死ぬにはいい日だな!」
「いや、俺はそうは思わない。ここにはお前のことを心配している人が山ほどいる。そのことを理解して欲しいんだ」
「いや、お前は連中に利用されているだけだ!」
「そんなことはない。俺は自ら望んでこの場に来たんだ。お前に死んで欲しくないんだよ。もしお前が誰かを撃てば、総攻撃されるだろう。もう勝ち目はないんだ」
 この交渉が奏功して、バンクスは午前11時17分に降伏した。


 さて、ここからはどうしてジョージ・バンクスがこのような犯行に及んだのか、その生い立ちを追いながら考察してみよう。

 ジョージ・バンクスは1942年6月22日、ペンシルベニア州ウィルクスバリで、メアリー・バンクスの私生児として生まれた。母親のメアリーは白人だが、父親は黒人だった。故に「混血の父なし子」という二重の差別の中で彼は育った。IQが121もあったにも拘らず、次第に横道に逸れ始めたのである。

 高校を卒業後、バンクスは陸軍に入隊するが、度重なる暴力沙汰ゆえに2年で追放された。その直後に2人の仲間とバーで強盗を働き、店主を銃で負傷させて、6年から15年の刑を云い渡された。1961年9月のことである。

 1969年3月28日、仮釈放されたバンクスは職を転々としながらも、黒人女性のドリス・ジョーンズと結婚し、2人の娘を儲けた。しかし、夫婦の仲は次第に険悪となり、1976年には離婚した。

 この後である、彼が「ハーレム」を作り始めたのは。スクールハウス・レーン28番地の一軒家を購入したバンクスは、ホームレスの女性たちを積極的に自宅に招き入れていたのだ。
 まず最初に住み込んだのはレジーナ・クレメンスだった。間もなく彼女はモンタンジマを出産した。
 次いで、シャロン・マゼロが住み込んだ。間もなく彼女はキスメイユを出産した。
 レジーナの妹、スーザン・ユハスもやがて合流した。間もなく彼女はブエンデを出産した。
 ちなみに、女性たちはすべて白人である。バンクスはチャールズ・マンソンの事件を報道で知り、彼のような「ファミリー」を形成することを夢見ていたようだ。また、ジム・ジョーンズにも憧れていたという。バンクスの記事を目にした当初、困惑した家族構成の謎がこれでようやく理解できた。彼はマンソンやジョーンズ牧師のようになりたかったのだ。

 1980年、バンクスは強盗の前科があるにも拘らず、キャンプヒル刑務所の看守としての職を得る。ドロシー・ライアンズとその娘のナンシーが「ファミリー」に加わったのはこの頃である。そして、フォラルードとモーリタニアが生まれたわけだが、シャロン・マゼロはこの増え続ける「ファミリー」にうんざりしていた。そして、息子と共に母親が住むトレーラーハウスに逃げ込んだのだ。1981年の終わりのことである。

 これを機にバンクスはおかしくなり始めた。
ジョン・ゲイシーってイカすよな」
 などと口にし始めたのだが、イカすもんかい。少年を33人も殺害したデブの連続殺人犯だ。
 サバイバルや殺人や人種差別に関する本を熱心に読み、銃器や軍服を買い求めた。彼の中で何かが始まっていた。看守仲間も彼の異変に気づいていた。それは恰も来るべき「戦争」に備えているかのようだった。
 看守としての適正に疑いを抱いた上司は、バンクスを精神鑑定することにした。それが予定されていたのは1982年9月29日。そして、その4日前に彼は犯行に及んだのだ。切羽詰まっていたのである。

「すべて終わりだよ、母さん。すべて終わりだ。みんな殺したんだ」

 思うに、職を失い「ファミリー」が離散することを彼は何よりも怖れていたのだろう。ならばいっそのこと、自らが終止符を打つことを彼は選んだのだ。
 だが、彼はジム・ジョーンズのように「ファミリー」と共に死ぬことは選ばなかった。マンソンのように生き残りやがったのだ。これは家長としては最低の選択である。

 ジョージ・バンクスには死刑が宣告されたが、現在もなお再審を巡って争っている。私としては「さっさと死ねよ」と彼に云いたい。5人もの実子を無慈悲に殺した罪は重い。重過ぎる。

(2012年11月21日/岸田裁月) 


参考資料

http://en.wikipedia.org/wiki/George_Banks
http://www.trutv.com/library/crime/notorious_murders/mass/banks/index_1.html
http://murderrevisited.blogspot.jp/2009/06/george-emil-banks.html


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