パーシー・メイプルトン
Percy Lefroy Mapleton (イギリス)



パーシー・メイプルトンの似顔絵

 フランツ・ミューラーに次ぐ二度目の列車殺人事件である。

 1881年6月27日、ブライトン発ロンドン・ブリッジ行きの列車がプレストン・パーク駅で停車した。その際に集札係が不審な男を見咎めた。服が血まみれで、靴から時計の鎖が垂れ下がっているのだ。何だこいつ? あからさまに怪しいので、その場で身柄を取り押さえた。

 パーシー・メイプルトン(21)と名乗るその男は、事情をこのように説明した。
「私は3号車の1等室に他の3人の客と共に乗っていたのですが、トンネルに入った途端に何者かに頭を殴られて意識を失いました。そして、意識を取り戻すと部屋には誰もいなくなっていました」
 それが事実ならば、そのことを真っ先に駅員に報告する筈なのだが、彼はそうしなかった。彼自身が何らかの犯罪に関与している容疑は濃厚である。

 鉄道の周辺を捜索した警察は、間もなくバルコム・トンネルの入口でコイン商のアイザック・ゴールド(64)の遺体を発見した。彼は刃物で刺された上に銃で撃たれていた。
 メイプルトンの所持品の中にはドイツの珍しい硬貨があった。故に彼の犯行と見て間違いないのだろう。つまり、列車の客室で一緒になったゴールドをメイプルトンが襲い、その金品を奪った後に、窓から外に放り出したのである。

 ところが、捜査の過程で警察は重大なミスを犯してしまう。メイプルトンの立ち会いのもと、サリー州ウォリントンの彼の下宿を捜索したのだが、その際にメイプルトンに逃げられてしまったのだ。
 全国指名手配され、似顔絵が新聞に掲載されたメイプルトンは、間もなくロンドン近郊のステップニーで逮捕された。かつての雇用主に賃金を請求する電報を打ったことで足がついたのである。

 かくして、コイン商殺しの容疑で有罪になったパーシー・メイプルトンは、死刑を宣告されて、1881年11月29日に絞首刑により処刑された。

(2012年10月26日/岸田裁月) 


参考資料

『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
http://www.murder-uk.com/
http://www.historybytheyard.co.uk/percy_lefroy_mapleton.htm
http://murderpedia.org/male.M/m/mapleton-percy.htm


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