池田亀太郎



事件を報じる当時の新聞


出歯亀こと池田亀太郎

 明治41年(1908年)3月22日、東京府豊多摩郡大久保村(現在の新宿区大久保)において、下谷電話交換局長の妻、幸田ゑん子(27)が殺害された。彼女は午後8時頃、近くの湯屋に出掛けたっきり2時間経てども帰って来ない。心配した家人がご近所ともども捜索したところ、湯屋付近の空地の隅にて遺体が発見された次第である。濡れ手拭いを口中に押し込まれた状態で絶命していた。
 ちなみに、翌23日は夫妻の結婚1周年の記念日で、被害者は妊娠5ケ月の身重だったというから痛ましい限りだ。

 9日後の3月31日に容疑者が別件で逮捕された。植木職兼鳶職の池田亀太郎、通称「出歯亀」なる35歳の男である。これまでにもしばしば湯屋を覗き歩いていたこと、且つ、湯屋帰りの女性を追尾し、場合によっては猥褻行為に及んでいたことが逮捕の主な理由だった。亀太郎は覗きと猥褻行為については認めたが、殺害については認めようとはしなかった。しかし、厳しい追及の結果、4月4日に遂に犯行を認めるに至った。供述調書によれば、犯行は以下の如し。

 犯行当日の午後5時半頃に家屋取り壊しの仕事を終えた亀太郎は、帰りがけに居酒屋に立ち寄り、焼酎を1合5勺ほどひっかけた。これがいけなかった。持病が再発したのだ。最寄りの湯屋に忍び入り、板障子の節穴から覗き見したところ、26、7の妙齢女性がちょうど湯から上がって着物を着かけている。しめたとばかりに戸外の物陰に身を潜めて、女性が湯屋から出て来るのを待ち受けた。眼の前を7、8歩通り過ぎた頃を見計らって、背後から右手を女性の首にかけ、左手を臀部に当てて傍の空地に引きずり込んだ。女性を仰向けに押し倒したところ、悲鳴を上げたので、慌てて濡れ手拭いを奪って口中に押し込んだ。そして、裾を開いて姦淫し、一目散に逃げ帰った…。

「翌廿三日、翌々廿四日にはあいかわらず出仕事してありしが、廿九日に至り西大久保の空地にて強姦惨殺されしものありという世評を聞き、さては死せるかと大いに驚き、いまさら非常に後悔して一度は自首して出でんと決心したるも、妻子の不憫に引かされて、やがてまた初志を翻し、せめて逃れ得る限りは逃れんと企てたり。故に新宿署に引かれし際も、すぐさま白状せんかとも存ぜしかが、やはり妻子にかまけて今日まで過ごしお手数をおかけ致し候段、如何にも申し訳なし」

 事件はこれで落着したかに思われたが、亀太郎は公判では一転して無罪を主張した。拷問されたために已むなく自供したと主張したのだ。
 証拠は亀太郎の供述調書のみだった。今日ならば補強法則に基づき、間違いなく無罪になる。ところが、当時の刑事訴訟法では補強法則は採用されてはいなかった。そのために亀太郎は有罪となり、無期徒刑が云い渡された。今日ではその冤罪を疑う向きもある。その可能性は大いにある。
 なお、亀太郎は5年後の大正2年(1913年)に恩赦により釈放されている。


 ちなみに、窃視を意味する俗語「出歯亀」は本件に由来している。たびたびクイズ等に取り上げられているので御存知の方も多かろう。但し「出歯亀」という渾名の由来については諸説ある。
 最も流布しているのが「出っ歯の亀太郎」が転じて「出歯亀」になったとの説だ。事実、当時の新聞もこのように書き綴っている。
「図抜けて大きく黒光りする双眼はくぼんで、頬骨はいたずらに高く、鼻は低くて、赤い唇から二枚の黄ばんだ歯が突き出ている」
 しかし、その写真を見る限りでは、不鮮明ながらも、さほどに酷いツラには見えない。出っ歯であることも確認出来ない。
 そこで、実は「出っ張りの亀太郎」、すなわち、何にでも口を出す「出しゃばりの亀太郎」だったのではないか。あるいは、性格が短気で荒く、事あるごとに出刃包丁を振り回したことから「出刃の亀太郎」だったのではないか等の説が主張されている。
 どれが真相であろうと、どおでもいいことではあるが。

(2009年6月8日/岸田裁月) 


参考資料

『明治百年100大事件・下』松本清張監修(三一書房)
『日本猟奇・残酷事件簿』合田一道+犯罪史研究会(扶桑社)
『別冊歴史読本・日本猟奇事件白書』(新人物往来社)
『朝日新聞記事にみる奇談珍談巷談』(朝日新聞社)


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